先日のコメント欄に 昔の映画『明治天皇と日露大戦争』の

嵐寛寿郎さんは、お父様ですか? と云う ご質問を頂きました。


読み方は同じなのですが、私の父ではございません

私の父は 嵐冠十郎 と書きます。(笑)


このブログでも過去に 何回か紹介した事があるのですが、
改めて 少し 紹介させて頂きます。


嵐寛寿郎さんは初期の映画で大活躍された方ですが、
嵐姓から ご想像されるかもしれませんが、元はやはり
歌舞伎の名題下さんでございました。

六代目 嵐徳三郎さんのお弟子で 
名前を 嵐徳太郎と申されました。 


当時の歌舞伎は今より以上に 門閥が厳しい時代でございました。

また、新しい「映画」と云う分野が 台頭してきた時代でございました。


その中で 沢山の歌舞伎の役者が この世界へと入ったのは
恐らく 時代の流れだったのでしょうか。


後の嵐寛寿郎さんも 映画の父と云われた マキノ省三さんが 
活動写真と銘打って 撮影された無声の時代劇映画に転向されました。


その時に 嵐寛寿郎 と云う名を 使われたのです。

当り役には『鞍馬天狗』『むっつり右門』等々。

往年の時代劇ファンの皆様には 今更申すまでもございません


同期の方に 阪東妻三郎さん 片岡千恵蔵さん
市川右太衛門さん 長谷川一夫(林 長二郎)さんたちが居られ
共に並んで 初期の無声映画の大スターとなりました。


(これは私の想像ですが 本来の冠十郎は逆に使えず でも 歌舞伎の名前に 
 ご未練があったのでは ないでしょうか?
 
 他の映画に転向された方も 歌舞伎にちなんだ名前が多いのも 
 そのせいかも 知れません)

この方たちは 皆 歌舞伎出身で 名題下 
所謂 大部屋の俳優さんたちでした。


歌舞伎の役者さんたちは この方たちを土の上の役者として
卑下されたそうですが、腕もあり顔もよい、
さらに民衆が、歌舞伎ほど敷居が高くなく 身近な映画に
飛びついた時代ですから 名作も数々生まれました。


やがてトーキーとなり 総天然色(カラー)となり 
ワイドスコープとなり 映画は民衆の娯楽の代名詞になったのは
この時代で ほとんどの方が ご存知だと思います。


私の父の 嵐冠十郎は そこから参りますと 
代々 歌舞伎の名前でございまして、
父の代で六代目となります。

記録に残っております初代は 1800年代の前半に活躍したとか。
一応、江戸時代から 続いております名跡になっております。


ですが、父は 関西在住で昭和26年に名題に昇進した折 
五代目 冠十郎さんのご子息から 譲り受けた名前でして 
血のつながりは全くございません


ただ 父は昭和14年に 初代中村吉右衛門に弟子入りして 
昭和21年まで およそ8年間 初代播磨屋の内弟子を致しておりました。 

その折に 常に師匠から 

「加賀(石川県)の国に 嵐冠十郎と云う いい役者がいる」

と云う事を聞いていたそうです。

と申しますのは、当時 初代吉右衛門さんがまだ若手で 
加賀の国の劇場で『盛綱陣屋』を演じた時、

隣の劇場でも なんと(笑)五代目嵐冠十郎さんが
同じ『盛綱陣屋』を 演じていたそうです。

吉右衛門さんにはお客さまは少なく 
かたや 嵐冠十郎さんのお芝居は 満杯だったそうです。


その話を父は聞いて居て 後年 上方に移った折に 
大阪の劇場で その五代目さんのご子息と 
化粧前を 並べたそうです。


ご子息は もう冠十郎を継ぐ ご意思がなかったそうですが、
その方が 何と云う名前で舞台に立っておられたか
現在の私には もう知る事は出来ません。

古い先輩の中には ご存じの方もおられた事でしょうが
詳しく聞く機会がないままに なってしまいました。




その時に 父は師匠の言葉を 思い出し 
名題になる時にこの名前を頂戴したそうです。

それが昭和26年 私の生まれる前の年に
南座で襲名致しましたから もう60年も前の事になります。


初代 嵐冠十郎さんは江戸時代の浮世絵にも登場する名優で 
お子さんの二代目さん その後 三代目 四代目とご不幸が続き  
五代目を継がれたそうですが、
五代目さんのご子息とも それ限りだそうです。
 

今でも加賀の国の嵐冠十郎さんの 菩提寺もあるそうなのですが 
訪れる方もなく 私も正直 お墓も存じ上げません


六代目の父も 先年 亡くなった後は遺言どおりに 
駿河湾に散骨致しましたので お墓もない事になります。


同じ歌舞伎を原点にしておりますが 違った道を歩んだ
映画の嵐寛寿郎さん 父の嵐冠十郎 


でも 二人が一緒に出た映画があるんですよ。

『むっつり右門 (献上博多人形)』と云う映画です。
 
さすがにその時は父が遠慮して 本名での出演でございました(笑)



映画の方が亡くなられた後の話なのですが・・・
 

巡業や海外公演などの折、今よりもおおらかな時代でしたので、
たびたび 呼び出しのアナウンスが 流れておりました。


父の名前が 飛行機や電車などで、アナウンスされると

『え~!! あらしかんじゅうろう まだ生きてたんや~!!』

などと 父の隣の人が 囁いた事も 二度三度ではございません(笑)

それが聞こえた時の 居心地の悪さと云ったら!!!
そのアナウンスで 父がいくのがわかっておりますから・・・

私は この時の父の名前が本当に嫌でした!!(笑)


でも後年 今の猿翁旦那は 事あるごとに 
「冠十郎さん 冠十郎さん」と使って頂き 
スーパー歌舞伎などの 特異なキャラクターは 父独自のもので
私にもまねができません(笑)


それぞれが それぞれの道で 一つの時代を築いたと、
息子と致しまして 苦笑いをしながら 思いたいものです。


今日は 二人の「あらしかんじゅうろう」「あらかん」さんの
お話でした。


あれ?私も還暦 あらかん??

三人の「あらかん」さんですかね??(笑)