今日は『ヤマトタケル』の裏話をひとつ。


皇后と姥神の二役。

この二役は 1986年の初演以来 先代門之助さんと当代門之助さんの
親子でのみ 引き継がれて演じられております。


この二役は このお二人以外に演じられた事がございません


初演以来、26年。
お二人のみで 演じられてまいりました。


(実は・・・初演以来 ずっと一人で同じ役をされてきた方は 二人おります。
 この事は また後日に。)



『ヤマトタケル』のお芝居の中でも また インパクトのあるこのふた役。
きっと 隠れファンの方も 多いのだと思います。

まあ、なんとも素敵なと申しますか 個性的な 味のあるお役です。



今日書きたいのは その中の 姥神の秘密(笑)


初演の時の先代門之助さんがあみだされた姥神のあの独特の笑い方。

私も強烈な印象でした。

伊吹山に於いてヤマトタケルと戦う時に 岩の上から大量の雹を降らし 
タケルの寿命を縮める術を使います。


そして「上手く行った!!上手く行った!!」と云う台詞の後に

所謂 低い声と高い声による

「うふ~ふ~ふ~ふ~ いひ~ひ~ひ~ひ~」と云う笑い声。



伝統歌舞伎と云うもの 初演の時に演じられたやり方が 

その後の人も踏襲される と云うのが歌舞伎の習わし。

もちろん さらなる改善と云うのは どこにでもございますが
それはそれ。


「ああ、先代もそうだった」「先代そっくり」

これは 歌舞伎の醍醐味の一つではないでしょうか。



当代の門之助さんもこの独特の笑い声を 出しておられます。



実は今日、この笑い声の発祥を思いがけなく
 
瀧乃屋のお弟子の門松(もんしょう)さんから 楽屋で伺いました。



私が雑談の折に
「初演の時の旦那(先代)よくこの笑い方 考えられたよね。」
と云いましたら・・。


こんな話を 教えてくれました。

時に1983年6月。 

歌舞伎公演の合間を縫って 猿翁旦那 段四郎さん 先代門之助さん他の一団にて
イタリアのボローニア大学で 歌舞伎ゼミナールが開催されました。
(この中に門松さんも同行しております。)


これはボローニア大学のイタリア人教授の方と 猿翁旦那が親しかった為に実現した
歌舞伎と大学の交流の催しで、後年の京都造形大学の授業で行われた
さきがけ的なことが すでにここで 行われておりました。



歌舞伎の授業を受ける大学の学生さんたちは 
もちろん世界各地の出身で 日本の方はおりません


一度も歌舞伎と云う物を見た事がない人ばかり。


ここで猿翁旦那たちが衣裳かつらお化粧をしたなりで 
数本の歌舞伎の実演を ダイジェストで見せ 
後日、それを実際に学生さんに演じて貰う授業がひとつ。
(これは 後に 日本でも行われました)


さらに 何人かずつの生徒さんが グループに分かれ 

与えられた歌舞伎の演目の ストーリーだけを知らされ 

それを各自が素で表現すると云う 独特な方法。

(日本では これは 逆にやった事はないのではないでしょうか?)


学生さんたちも悩み悩まれて 練習に練習を重ねたそうです。



その中には『忠臣蔵』の「五段目」や『四の切』も含まれており 

その中で一人の学生さんが 『四の切』のストーリーを読んで 

鼓が親狐 それを慕う狐の鳴き声を 先の姥神の表現、

『うふ~ふ~ふ~ いひ~ひ~ひ~ひ~』と 

笑い声ではなく泣き声で 身もだえて演じたそうです。



それをご覧になっていた先代門之助さんが「面白い表現だね、覚えておこう」と
門松さんと話し合われ 


後年 1986年の『ヤマトタケル』の初演の際 この泣き声を
笑い声としてさらに工夫を入れられ 姥神に使われたそうです。


それが現在も『ヤマトタケル』に厳然と伝統として残っているのは 凄い事ですね。



演じた学生さんは 遠く離れた(恐らく訪れる事もないような)日本の
スーパー歌舞伎のお芝居の中に 自分の演技がヒントとして組こまれており、
それが 約30年も経った 今現在でも 演じられていると 云う事は 
知る由もないでしょうが・・・。


その時の 学生さんも 覚えているでしょうか?
今現在の舞台を もし見たとしたら どう思ったでしょうか??


その発想をした 学生さんも凄いですが、
それを 奇異なものではなく 受け入れられた先代門之助さんの
着眼点も 凄いと思います。

そして、現在までも 当代の門之助さんによって その事が受け継がれている。
素晴らしい事だと思います。


今日のこのエピソードは門松さんから伺った 目から鱗の物語でした。(笑) 

門松さん ありがとうございました!!!