『ヤマトタケル』のお芝居の中で ちょいと考えてみたい所。

1幕5場の熊襲館の場。 
熊襲タケル兄弟の新宮のお祝に 続々と使者が到着致します。


吉備の国は関門海峡の海を隔てているとは云え 
まだ近くなので ある程度の様子も分かり 
新宮が出来たかな? 程度の時期はなんとなくわかりそうですが・・・。


蝦夷の国のヤイレポはなぜ 新宮が出来た時に 
その場に居られたのでしょう?

この時の蝦夷とは相模の国 いまの神奈川県です。
(焼津は実は 今の静岡県で 駿河の国。
 このあたりはあまり深く考えず、鷹揚に・・・)


間には大和の国が控え 横断していく事は無理だと分かっているので
わざわざ船でやって来たと・・・。


と云う事は 九州で新宮が建築中との情報を 
すでに早い時期に ヤイレポは知っていた事になります。?


今からおよそ2000年前の時代。

電話やインターネット 新幹線 飛行機もない時代に なぜ?

ヤイレポだけでなく 琉球からの踊り子も・・・?



なぜ? 海を隔てた遠い国の人たちが 
他国の建築中の情報を知っていたか?(笑)


知っている訳はないけど そこが お芝居のうそでさあ~ !!
それでなくちゃ~ 面白くないでしょ!!
理屈を考えると 当てはまんなくなるよ・・・・。  


と、思うのは 逆に現代人の浅はかさかもしれません



現代はインターネットや携帯電話 情報化社会。 
この器具が無いと、もう どうしようもない!!


例えば携帯通信会社のトラブルで 携帯電話が使えなかった時間帯。
かなりの人が 困ったとか? 


また 東日本大震災の折に 鉄道が不通となり 交通網が混乱 
帰宅困難となった折、携帯電話もパニックでつながらず 
歩いて帰るのに うちの方向も分からず
コンビニでは かなりの地図が売れたとか・・・?


器具に頼っている現代人にとって その器具が無くなる事は 
考えられない事なのでしょうね。


でも 2000年前の人たち 器具の無い時代にとっては 
ないのが当たり前。

当たり前の中で ではどのように情報を読み取っていたか?


私はさっきの そこがお芝居のうそでさあ~ と云う部分に 
逆にひょっとしたら 本当に知っていたのかも? 
と 思ってしまいました。



例えば かなり大きな私の仮説なのですが、 
2000年前と云うと 多少の時代のずれは ございますが 
中国では三国志の起こる前あたり。


もう日本でも稲作や 色んな道具が中国から伝わって来ております。

中国との交流はもうとっくに始まっているのです。

中国へ行くためには 日本の国内の規模とは 
到底比べ物にならない距離がございます。



海を渡る技術 今から考えると それは稚拙な技術かも知れませんが
それは現在の私たちから見ればであって 
当時は斬新的なものであったに違いありません


ヤマトタケルもトスタリの様な占い師に 
いろんな事を占わせているのですが 案外占いと云う物 
まんざら馬鹿に出来ない部分もあるかも知れません。


星を見れば・・・その知識があれば 今、自分がどこに居るかわかる。

目指す場所を 空を見ながら移動して 間違いなく行ける
となると 帰って来る事も出来る そこに 交流も起ります。


交流が起きれば 情報も入って来る!!


現に熊襲タケル兄弟や 蝦夷のヤイレポ ヤイラム兄弟は 
大和の国の情報を知っておりました。


器具に頼っている現代人の大部分の人は 星の読み方も知りません


まして日本地図で 現代のいろんな県 場所も
知らない人が多いのには 最近のテレビ番組で知り 
ビックリしました。


ヤマトタケルの時代 大和民族が全国を征服して行く際にも 
知らない土地に向かう際 星を読みながら 進んで行った
と云う記事を どこかで読んだ事がございます。



時代は、どんどん進化しているのに 
人間の知識は 当時の人たちより どんどん 劣り始めているのかも?


器具にばかり頼っていると そうなりかねません


現に昔の人が作った ピラミッド 万里の長城 
奈良の大仏 正倉院の校倉造

現代人には幾何学が進み過ぎて 逆に作れないのだそうです。


私たちの現代人の自動車 鉄道の距離 時間と云う 感覚に対して 
昔の人は、船や星座 歩くと云う 感覚で物事を図りました。


それを 今の私たちが 忘れているのかも? 


『ヤマトタケル』1幕1場2場3場は 大和の国ですが 
4場は明石の浜 倭姫が弟姫と老大臣と 小碓の命を追い掛けて 

現代の奈良県から兵庫県の明石の浜まで 歩いてやって参ります。



そこから伊勢まで、さらに歩いて行くのです。
当たり前と云えば当たり前ですが、小碓の命も九州まで
もちろん歩いて参ります。 


現代の新幹線を使っても 相当な距離です。


でも その相当な距離と云う感覚がもう 
私も蝕まれているのでしょうね(笑) 


コロンブスが目指した世界の果て 大航海時代や 
冒険心を持った キャプテンたちは
地球規模で探検しております。


歩くしかなかった時代の 距離の感覚と 
車や新幹線の速度を知ってしまった私たちの 距離の感覚。


早く移動する手段を知ってしまった分、
却って 距離の感覚が 遠くなってしまったのでしょうか。


実は 一昨年、自宅のございます板橋から日本橋まで
中仙道を歩いてみた事がございました。

[http://blogs.yahoo.co.jp/enzaburou/archive/2010/09/26 その1] [http://blogs.yahoo.co.jp/enzaburou/archive/2010/9/27?m=lc その2] [http://blogs.yahoo.co.jp/enzaburou/archive/2010/9/28?m=lc その3] 


歩いたと云うと みな「え~!!!信じられない」という反応。

地下鉄でしたら 乗り換えて 20分~30分でしょうか。
その距離を歩くと云うのが 今では ある意味信じられない。

でも、距離にしたら 11キロ弱なのです。

その時も思いましたが 案外近いのです。


今月は私 バイクで通っておりますが、地下鉄では味わえない 次の交差点の向こうの
道路を知っております。

電車に乗ると そこから先 どのような道なのかも わかりません


バイクに乗っている人間が云うのは 語弊がありますが・・・。

頭の中で造り上げた距離感と 狭い日本の中で 北から南までは 
相当な距離と云う感覚を 私たちが取り除かない限り 

器具にも頼らず 自分の力で切り開いて行かない限り 
私たちは、気持ちの島国から出られないのでしょう。(笑)