ある方から 一つ質問を頂きました。

熊襲館の唄は 何と唄っているのですか??
「スサノオと とりあう娘」と聞こえる気がするのですが??


あはははは、さすがにこの場面で「スサノオ」は、おかしいと思われたので、
こう云う質問になったのでしょうか?


何度か ご覧になったお客様が おられましたら
ちょっと 唄ってみて下さい(笑)

ウッホ ウホウホウッホッホ~!!  その後~・・・・・。


唄えましたでしょうか?



実は こんな歌詞になっております。



「新室(にいむろ)の 壁草刈りに 坐し給わな  

 草の如(ごと) 寄り合う 処女(おとめ)は君がまにまに・・・。」



1幕5場の 熊襲館の場で 舞台が回りながら 
熊襲の兵士や民衆が 新宮のお祝に唄っている歌です。 

花道では私たちが 「フルーツ娘」と呼ぶ娘たちが 
頭にたくさんの果物を乗せて踊り、 
熊襲タケル兄弟に貢物を備える場面です。

(質問頂いた方は「パイナップル娘」と云っておられるとか・笑
 確かに 頭に乗せている全体像を見ますと その呼び名も わかりますね)


ご観劇のお客様は ご記憶の方もおられると思います。



実は、この唄には こんな、いきさつがございます。

1986年の 初演の時にはこの唄が ございませんでした。

曲はあり この場面はあったのですが、 
所謂 音楽だけでこの場を盛り上げておりました。

兵士や民衆は 手拍子と囃す言葉だけ。


その後 再演か 再再演か このあたりの記憶もあまりなく 
当時を知っている出演者の方にも 確認をしたのですが、
いつからだったかが はっきりしません

この場面に 初演から出ている熊襲の兵士の人は 現在ではおりません
(初演の時に出ていて その他のお役になった人も 今では数人)


丹念に調べましたら 記録には 残っているかもしれないのですが
その始まりは 出演者の記憶には 残っておりませんでした。


とにかく初演以外の時に この場面で新たに先ほどの 歌詞が渡され 
この唄をこの曲に 当て込んでいく作業が 後から行われました。



今では馴染があり なんの違和感もなく唄われておりますが、 

当時はこの歌詞は、いったいなんだ? と 不思議に思われておりました。


実はこれは万葉集にある歌でして 新築のお祝に 唄ったのだそうです。


詳しく調べてみますと 実際は「いましたまわな」とあるなど
微妙な違いはあるのですが、これは 音数に合わせたものでしょう。


それにしても こんなに 綺麗にはまった唄が よくあったものですね。

今まさに 熊襲館の 新築のお祝いに 歌い踊っているのですから。

しかも、その上に 実際では 意味は少し違いますが 
この歌詞の中にに出てくる「おとめ」が実際に この後出てくるのです!!
(実はおとめではなく 男なのですが・・・笑)


それに致しましても まるで 初演からその場の為に 作られた歌があって 
それに曲をつけたと 思われそうですが。

実際は違っていて 曲が先にあり それから歌詞を探してきたと云う様な作業、
今では 逆に信じられないような気が致します。


1300年以上前の 万葉集に載っていた歌。

まるでスーパー歌舞伎『ヤマトタケル』のあの場面の為にあったような歌です。

不思議なものです。




いかがでしょうか?
この歌詞 聞き取られておられましたでしょうか?

「草のごと」が「スサノオと」と思われていたように
案外 全く違う歌詞だと思っていた方も 多いのではないでしょうか?



ここではこんな風に語っておりますが(笑)私は この唄を 
舞台では唄った事がございません(笑)

いつも 琉球の踊り子、琉球の使者、相模国ヤイレポと
熊襲へ訪問する立場の役ばかりしておりました。

今に至るまで この唄を唄う機会がございませんでしたのは ちょっと残念!

(猿弥さんと共に私も お稽古の時には 唄の指導を致してはおりますが・・笑)


今月も 熊襲の民たちが 毎日楽しそうに 唄い踊っております。

次回見るときには 是非 こちらにも ご注目? ご注耳ください。(笑)

そして 唄も聞いてみて下さいね。


空耳アワーではありませんが もし、こうだと思っておられた方は 

その歌詞も コメント下さいませ。(笑)