今日のブログの主人公。

写真を撮らせて頂きましたのは 少し前なのですが、
なかなか 記事に出来ませんでした。

今日「ブログに思い出書かせて頂きますね」と云ったら

「え?え? 何を書くの???」・・・と


きっと見て下さっていると思います。(笑)


ブログを始めた当初「三日坊主にならないでくださいね」と
ありがたい 助言も頂きました。

私 案外 天の邪鬼(笑)

そう云われますと 毎日でも 続けてやろうと思ってしまいまして、
あっという間に もう 4年になりました(苦笑)




と云う事で、今日は・・・


『小栗栖の長兵衛』先日の寿猿さんの親父さんに対して長兵衛は総領の長男。

妹おいね。その長兵衛の妹婿 七之助を演じておられる 市川門之助さんです。

イメージ 1



村中でも義父にあたります 寿猿さん演ずる長九郎さんに 

いい婿を取りあてたと評判で喜ばれるお役ですが、 
このお役 舞台上で何回 正直者 働き者と 表現されているでしょうか?(笑)


村人 私、茶屋亭主 弥太八 庄屋さん 和尚さん 他 
ほとんど出演者全員に もてはやされております。(笑)



ただ 長兵衛にだけは 妹のおいねと共に、

「でしゃばりの毛が三本足りねえ奴ら・・・」と

比喩されておりますが(笑)



この門之助さんも1990年(平成2年)12月 八代目を継がれてから
もう22年が経ちました。


お元気でおられた先代が、急に病で倒れられたのが、この年の8月。


この時 門之助さん(当時 小米さん)が軽井沢で 
パルコ9月公演『雪之丞変化2001』のお稽古途中、
急遽 お帰りになられたのを 今でも覚えております。

そして10月に先代が 亡くなられ 12月に猿翁旦那のお勧めで
八代目を襲名されたのが つい昨日の事のように 思い出されます。


襲名の前月 11月は猿翁旦那の地方巡業。 

この巡業の久留米の会館で 襲名用のスチール写真を 
あいてる時間に撮影されたのも 今では懐かしい思い出です。


この1990年の後半4ヶ月 

門之助さんにとられて かなり慌ただしい年だったのでは ないでしょうか?


門之助さんとは レベル(?笑)も順番も違いますが・・・ 

私は 父の「嵐冠十郎」の名前を継がないと決め、
この「市川猿三郎」を『ヤマトタケル』ヤイレポで襲名 致しました2008年。

なにかと 忙しかったその年の暮れに 闘病中の父は亡くなりました。 

その折に、ふと 門之助さんの事も 思い起こしましたのも・・・
もう 4年も前のこと。




今では門之助さんも 押しも押されぬ 当代きっての なくてはならない役者さんと、
なられました。


この七之助の村一番の正直ものと呼ばれるお役が 
これほどピッタリのお方も そうはおられないのではないでしょうか?(笑)


以前 染五郎さん主演の『染模様恩愛御書』の上演の折だったでしょうか、
染五郎さんが私に

「今月の一座で 父親が歌舞伎俳優で 息子も歌舞伎俳優となっているのは
 3人しかいませんね。(笑) 私とあなたと 門之助さん」

と おっしゃいました。

私はなるほど!! と思いました。



私の父と先代門之助さんは 記録映画の七代目幸四郎さんの『勧進帳』の時に
片や富樫の太刀持ち 私の父は記録のその場面を袖からズ~っと見ていたそうです。

後年 先代が私の父に

「マーちゃん 記録映画の『勧進帳』は白黒だけど
 私たちは毎日 カラーで名優たちの実演を 見ていたよね。(笑)」

と 楽しそうにおっしゃっておられたのが 印象的でした。


父と先代門之助さん 私と当代門之助さん 

親子にわたり 私たちは何度 一緒の舞台を踏ませて頂いている事になるのでしょう。



面白き歌舞伎の世界。 

普通の人には考えられない世界が ここに厳然とございます。