今月 香川照之さんが市川中車の名跡を九代目として継がれました。

口上の中では坂田藤十郎さん 片岡秀太郎さんが
先代や先々代の中車さんの お話をされ 
共に名優であられた事を おっしゃっておられました。


さすがに私 先々代(七代目)中車さんの事は存じ上げませんが、

先代(八代目)中車さんとは 何度か一緒に舞台を踏ませて頂きました。


1963年(昭和38年)10月 梅田コマ劇場で 
坂田藤十郎さん(当時 中村扇雀)の『浪花の恋の物語』

(これは『恋飛脚大和往来』を題材にしたお芝居、
 映画では 中村錦之助さんと有馬稲子さんが演じられました)

私は当時11歳で 忠兵衛の丁稚 長吉。

八代目中車さんは田舎大尽(歌舞伎では八右衛門の役どころ)を 
演じておられました。



さらに1965年(昭和40年)5月 名古屋御園座に於いて 
松本白鸚さんの『名和長年』と云うお芝居で 

私が三男 乙童丸と云う 大役を弱冠13歳で頂戴いたしました。


鎌倉時代 後醍醐天皇が隠岐の島に流され 
この脱出に力を貸した名和長年。

この豪族のところへ 助けを求めに来る成田小三郎堯心と云う
お役を 八代目中車さんが演じておられ 

私が引いた 弓の 蕪矢の音を 父(名和長年)と間違え 

その堯心が私に 走り寄って来たところを 取り押さえられ 捕えられる
と云う お役どころでした。

(実際その場面はございませんでしたが 私が父長年(白鸚さん)に
 戦物語として 語る場面がございました)

その後 堯心に諭され 門下に下り天皇を助けに行く一族
その中の 三男。

鎧を着た若武者のお役をさせて頂きましたのは 本当にいい思い出です。

東京歌舞伎座では市川團蔵さん(当時 銀之助) 
大阪新歌舞伎座で片岡仁左衛門さん(当時 孝夫)

そしてその後にございました 名古屋では私と 
今から考えると ビックリするようなメンバーと同じお役を勤めさせて頂きました。



残念ながら 名古屋のみが 純粋な歌舞伎の公演ではありませんでしたので、
現在の「歌舞伎 on the web」のデータベースには 載っておりません。

が、同じ役を 團蔵さん、仁左衛門さんと 同じようにさせて頂きましたのは
私には いい思い出です。


ちなみに お二人は 弓を持って 登場いたしました場面に、
私一人が (お二人に比べて)年も若く、小さかったために 
弓ではなく 矢を持って登場したという 事もございました。




その後 帝劇のこけら落し。 

二代目中村吉右衛門襲名公演では 現市川高麗蔵さんが
まだ本名で 八代目中車さんと同じお部屋に おられたのが
印象的でした。

私も子役、絡みはございませんでしたが、同じように子供として
同じ舞台に立っておりました。

が、後年 あの時の子供(ごめんなさい・笑)が 高麗蔵さん(前名でしたが)か
と思ったのが 思い出されます。




八代目中車さん とても斬新的な方で
この当時 ローハイド ララミー牧場と並んで 
とても人気のあった 私も大好きな アメリカテレビ西部劇 
ボナンザ(一部では カートライト兄弟と云う題名で放送)の 

3兄弟の父親役 ベン・カートライト(ローン・グリーン)の声の
吹替えも担当しておられ
 
ご一緒した時に、「ベンの声の人だあ~」 と、

とても光栄に感じた思い出がございます。 


その後も何回かご一緒させて頂きましたが 

国立劇場での『髪結新三』の大家さんのお役を 

大阪自宅のテレビで拝見した時には 

二代目松緑さんの新三との 絶妙のやり取りに 笑い転げました。


その時 数日前に亡くなられたと云う テロップが流れ 
ビックリした思い出もございます。



その中車さんのご名跡を まさか香川さんが九代目として継がれ 
襲名公演の同じ舞台で 私も立たせて頂く事になるとは 
全く 予想だにもしませんでした。


こう云う事が起きるから 人生って楽しいですね!!(笑)


この八代目を存知あげる方は 一門では 

猿翁旦那 段四郎旦那はさておき、

寿猿さんと 私ぐらいでしょうか?

門之助さんも国立劇場の最後の舞台では 
幼少の頃に御一緒されていたそうです。


名跡と云うもの 凄い意味のある事なんだな~ 
と 改めて感じた次第です。


これからまた 新しく 9代目との 思い出も出来て行く事でしょう。
それもまた 楽しみです。