私のこのブログでは 過去に何回か書かせて頂きましたが、
『ヤマトタケル』上演中にもう一度 おさらいをしてみたいです。


4年前から ずっと見て頂いております皆様には ごめんなさい

今日のブログは 過去の集大成(笑)

いつかどこかで 見た事のある内容や記事だったらごめんなさい。


でも、ここのところ・・・実は 毎日1000~1300人の方に
御訪問頂いております。

ってことは 700~1000人の方は 見た事ないかなと(笑)




このお話は 今から○○年前の 古代日本史の出来事です。


ですが、この時代の息吹が 今の時代に厳然と生きて居る事を 
あらためてしろしめされます。

ここ数年、私自身も 折に触れて ヤマトタケルの地に行っておりました。

意識して行ったところも多数。
たまたま 立ち寄ったところが 所縁の地だった事も多数。

過去のCDロムを 掘り起こしてまいりました。


まず、大和の国はもちろん 今の奈良県。  
大和は国のまほろば。


これは、2008年5月に 明日香村に行った時の写真。
甘樫(あまかし)の丘から写しました巻向(まきむく)の地です。

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父帝も、小碓時代のヤマトタケルも ここに居た事でしょう。


そして蝦夷の民 ヤイレポ ヤイラムの火攻めにあい 焼け野原となって
ついた地名が 焼津(やいづ)


こちらは まだ最近 2011年8月に立ち寄りました。

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現在でも焼津神社にタケルが祀られております。


次に浦賀から船で渡ろうとしたところが 嵐に会います。

そこが三浦半島からの走水。 

ここにも走水神社がございます。

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こちらを訪れましたのは、一番昔でしょうか? 2006年6月の事です。
「弟媛~」の写真は どこかで 掲載しました。
良かったら探して下さい(笑)

そして 弟媛を生贄に 渡った先が 千葉県の木更津。

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ここの地名も 弟媛を失ったあまりの哀しさに 
なかなかここを去ろうとしなかったために

ついた地名で 本来は 君去らず・・・場所。

2008年9月に訪れました。

このあたりには 弟媛の袖が流れ着いた「袖ヶ浦」などの
ヤマトタケル由来の地名が沢山ございます。




また伊吹山で山神と戦い 手傷を負いながら 


鈴鹿峠を越えられなくて
足が鳥の様に 曲がってしまった。 と云う場所。

残念ながら 伊吹山や鈴鹿は まだ訪れておりません。


初演の折は

「足が ゆう事を聞かぬ 鳥の様に三重に曲がってしまった!!
 ここを三重(みえ)と名づけよう!!」

と云う 台詞がございます。 ここが後に 三重県となりました。



さらに能煩野(のぼの)に於いて タケルは息を引き取り そこから白鳥となって 
あこがれの大和の国を目指し 空より故郷を眺め 傷つきながら 
羽を横たえた 大阪の 羽曳野。  

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ここは白鳥古墳。



同じく大阪の堺には 鳳と云う地名と 大鳥大社もございます。

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そして 東京には 妻恋神社

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そしてタケルたちが 征伐の為に 拠点として居住していたと云う 
全国の大和町。



少し上げただけでも これだけのヤマトタケルに関係する地名が 
現在でも使われております。


私の知らないところにも まだまだ『ヤマトタケル』に関連する場所が
あるかも知れません

こう云ったところを 訪ねてみますのも また楽しいものです。


次に行きたいと思っておりますのは 名古屋の所縁の地ですね。
名古屋では なかなか 自由な時間が取れず 行けないままでした。


これ以外の所縁の地 もしご存知の方は またお知らせください。


当時の記事にもリンクを張ってみましたので お時間のございます方は(笑)
前後の旅行記と共に 読んで頂ければと思います(笑)