一昨日、久しぶりのバイクで 銀座へ出かけました。

私にとっての 銀座と云いますのは どうしても お仕事の場所。
時間に行って 終われば帰る(もちろん、ブラブラする事もありますが)
そんなところでございます。


バイクで通勤する事もございますが、どうしても 途中には
立ち寄る事が出来ない所も 多々ございます。


いつも通る所の いつも 目にする物。

なのに 立ち止まる事の無いままに なっているものの 如何に多い事か。



美味しそうだなあと思いながら ついぞ 行った事の無いラーメン屋(笑)
何だろうなと思いながら 一度も ちゃんと見た事の無い 行列。

ちょっと脇にそれますが、いつぞやテレビで見た 呉服橋近くにある老舗洋食屋も
普段の通勤路から 見えておりました。

意識して 見ておりますと いつも 行列。
一度行きたいなと思っておりますが、なかなか 行く機会がございません。

バイク駐輪場がそばにないために・・・。



観光地もそうです。

一ツ橋屋敷の碑も 何度も見ておりますが、一度も止まった事はありません



そんな所の一つ。


平清盛の事を ブログで書いた事もございまして そう云えば
平将門の首塚も よく通っているはず・・・と思いまして、
初めて 立ち寄ってみました。

イメージ 1


こうやって 写真を撮りますと うっそうとした緑の中?
と思ってしまいますが、実はここは 大手町のど真ん中。

回りは 新旧いり混ぜたビル群が乱立している中に 
この将門の首塚(将門塚=しょうもんづか)がございます。


過去にはよそに移そうと云う案も あったそうなのですが そのたびに起こる災い。
わざわざ ここの場所から移動させる事が出来ずに ひっそりとある首塚!!

イメージ 2


実のところ、バイクを止めて 数分の撮影をすることすら
時間によっては 難しい そんな 場所なのです。




平将門と云いますと、先日話題にした 平清盛と同じ 平氏。

ま、詳しい事は 省きますが(笑) 

将門は桓武天皇5世。(簡単に申しますと 孫の孫の子)
西暦940年に亡くなっておりますので、活躍したのは10世紀初頭。



一方、清盛はもっとずっと 後の時代、
1118年に誕生して、1181年に亡くなっておりますので、
活躍しましたのは 12世紀の半ばから後半。

おおよそ 250年近い 開きがございます。
清盛は桓武天皇11世。かなりの差がございますね。

将門のおじの系列から出て参りましたのが 清盛と云う事になります。



ま、難しい事は 置いておきまして・・・なんとなく 平氏のつながり。
こんな事もなければと思いまして 見に行きました。

イメージ 3



歴史の時間でも習いました 「将門の乱」の後に平安京まで送られた
平将門の首は 晒されていたさなかに 飛んで帰り、この地に戻ったとか。

蘇我入鹿しかり、菅原道真しかり。

恨みを持って亡くなった方の首は 故郷に帰るのでしょうか??


歌舞伎では将門本人が登場する演目を 私は知りません あるでしょうか?

『忍夜恋曲者』は将門の娘 滝夜叉姫が主人公。

また猿之助四十八撰の中の『御贔屓繋馬』は 将門の子 平良門が主人公。

このあたりでしょうか?



歌舞伎の演目を思い出しながら、ふと 首塚の横を見ますと カエルが・・・

何だろうと思いまして 思わず 撮って参りましたのが この写真。

イメージ 4


両脇にいくつかの カエルがおりました。
普通の庭の片隅に 置かれているような 普通のカエルです(多分)

将門と蛙ってなにか 関係があるのだろうか??

気になりましたので 帰宅後に調べてみました。



京から将門の首が 飛んで帰ってきた(カエル)事にちなんで、
左遷になった人や、行方不明になった人が「カエル」事を願って
供えているそうです。


なるほど・・・・妙に現代風なのにも どこか納得。



と、一昨日 この写真を撮って帰って来て、テレビを見ておりますと、
どうやら 昨日の深夜のドラマで この将門の首塚が
とりあげられていた模様。(番宣だけ見ました)


残念ながら 私はこのドラマはあえて見ておりませんが 
どんな風に関わって来ていたのでしょうか。
(見てしまうと このブログが 書けなくなりそうでしたので)

ちょっと気になります。



それにしても、いつも通っておりながら 初めて行った史跡が、
その直後にドラマで取り上げられていて・・・

不思議な気が致します。

(本当は 一昨日か昨日のブログにしようと思っていたのですが、
 あまりにもタイミングが良過ぎて、書けませんでした。)


ドラマ、再放送しないかなあ・・・

実は 録画しそこなったのです(涙)見たかったなあ~