今日は 午後から嵐の一日 との予報がございましたので、
朝から 用事だけを済ませて 昼過ぎには 帰宅。

たしかに午前中から 風が強い中、雨が降ったりやんだり。

ではありましたが・・・



なぜか 東京では 全く 「嵐」らしき 雨は降りません。


「どないなってんねん???(笑)」と思いながら 何度も窓を開けて
外を眺めておりましたが・・・・


夕方のニュースの天気予報で その理由(?)が判明。

降水量の変化の図を見ますと 降っていないのは 東京だけ!


関東の他の地域では 結構降っていたみたいです。

あはは・・・天気予報が 外れた!!!と云うところでしたが
・・・まあ、さほど降ってないと云う意味では 外れてますが。



ですから今日は カメラを持って 近くを散歩のつもりが
半日家にこもってしまいました。


そんな中、たまたま 夕飯時に見ておりました番組で
平清盛が 取り上げられておりました。


今年の大河ドラマですが、残念ながら 出番の都合で時間が合わず、
初回は見ましたが、録画してまでも。。。と思ってしまい、
見ないままに来ております。



平清盛。


果たして 清盛をとりあげた 歌舞伎は どれくらいあるでしょうか。

ちょっと調べてみますと


すぐに思いつきますのは 『建礼門院』

それ以外に?と調べますと、

舟橋聖一の『平家物語』 これは 清盛が主人公の演目のようです。
真山青果の『清盛と西光』というもの、
吉川英治の『新平家物語』、そこから派生した『清盛と常磐』

『源平乱絵巻』『女人平家』と云ったものもあるようですね。


が、実は このあたりの演目は 私の生まれる前の上演であったり(笑)
あまり 再演されていない物であったりとして、
申し訳ございませんが 私も ほとんど見た事がございません

しかも いわゆる「古典歌舞伎」ではなく 書き物といわれる「新歌舞伎」
に集中しておりますね。




ですが案外 「清盛」という名は セリフの中には よく出てくるのです。

例えば、簡単なところでは『一條大蔵譚』『俊寛』『源平布引滝』

他にも結構出て参りますので、もしよろしければ 探してみてください。



・・・実は 本当は このあたりを 主題にするつもりでしたが、
調べているうちに 思い出深い公演に あたりましたので
今日は こっちを書かせて頂きます(笑)

機会がございましたら セリフの中の 清盛にも 触れたいと思います。




その 思い出深い公演。

1980年10月の サンシャイン劇場での『源平布引瀧』

今から 30年以上も前の話でござます。

その前年 猿之助旦那が池袋サンシャイン劇場と云う 
客席およそ200強の狭い空間を使って、こけら落としに 
映画と歌舞伎の連鎖劇と云う実験的公演が 行われました。


そのこけら落とし公演は『奥州安達原』

難解なこの物語の起こり 安倍貞任 宗任兄弟と 源八幡太郎義家の 
いきさつを分かりやすく 口上のように登場して 
ご自身の映像を見ながら解説して お客様からは大絶賛を浴びた公演でした。


その第2弾が翌年に上演されたこの『源平布引滝』

プロローグに映像だけの出演で左團次さんが清盛として登場し 
猿之助旦那の難波六郎との やりとりがございます。


こういういきさつがございますので、左團次さんは 
実は実際にはこの月、サンシャイン劇場には 立っておられません(笑)

映像だけの出演ですので、歌舞伎座の舞台に立っておられました(笑)

同じ時間に 別の劇場に出ておられますので、劇場かけ持ちよりも
ある意味すごいのかもしれません(笑)




話を戻して、本編では義賢と実盛の二役を猿之助旦那。

その幕間の間が 映像で表現され それが旦那の拵え替えの時間。

いつもの『義賢最期』と『実盛物語』の間に 実盛の劇中の御座船の物語を
そのまま映像として挟み 義賢より小万が預かった白旗を 琵琶湖にて
実盛が白旗を持った小万の腕を 斬らねばならない
いきさつを映像化致しました。

(普段は 実盛物語の台詞の中で 語られている内容です)


この映像化の監督は なんと猿之助旦那ご自身。 

琵琶湖湖畔にカメラを据えメガホンを持って 
ディレクターチェアに座っている 猿之助旦那の写真が残っております。


残念ながら このような形態は この後には もう残っておりませんが

(音声だけですと、後年のスーパー歌舞伎『カグヤ』に少しだけ
 応用されておりますね)


それはそれは 貴重なそして 一風変わった面白い公演でございました。

パンフレットや 台本を探してみたのですが・・・
残念ながら 引越しの連続で 無くなってしまったのでしょうか?
明日、もう一度探してみます。


私は まだ本名での出演で 実盛の近習と 義賢を捕らえに来る
進野次郎の軍兵を勤めておりました。


が、実はこの公演、私にとっては まだまだ 重要な役があったのです。

この話は また 明日。       


つづく(笑)