博多座の舞台は もうとっくに終わってしまい、
今月の中村座の舞台も あと数日になってしまいましたが・・・

どこかで 書こうと思ったままになっておりました『鬼揃紅葉狩』の思い出。


亀治郎さんは2009年にされておりますが、この時には私は
同じ劇場には 出演しておりませんでした。


『鬼揃紅葉狩』の思い出と申しますと、もう20年近く前の話。

1995年12月南座顔見世公演での 猿之助旦那の更科の前 実は鬼女です。


猿之助旦那の更科の前に

中村鴈治郎さん(現坂田藤十郎さん)の 平維茂

侍女実は鬼女に 門之助さん、信二郎さん(現錦之助さん)、
右近さん、笑也さん、笑三郎さん、春猿さん。

従者に 猿弥さん、段治郎さん。


この時私は 一連の後見 そして幕切れには
三段を持って参ります後見の一人を しておりました。


と、これだけなら 何の事はない 思い出の一つなのですが、
実は この後見、忘れられない 思い出があるのです。



と申しますのは、先月の『鬼揃紅葉狩』は 夜の部の切でしたが
この時は その後に 『助六上演口上』と『助六由縁江戸桜』が
続いておりました。


そこで何と 私は 揚巻付詰袖新造として 出演していたのです。


女形ですよ、白塗りの(笑)


鬼揃の幕切れまで 裃の後見として出て、そのまま早ごしらえで
新造に・・・

いや、これは 本当に大変でした。

その時の助六役と口上は團十郎さん 


揚巻は芝翫さんでした。


当初の話では 会社から休憩が25分ありますから と 云われ
それなら なんとか早ごしらえで・・・

と、云う事でしたが、あまりにも終演時間が遅くなったために
ここの休憩が出来開きになってしまいました。
(京都の顔見世ではよくあった事ですが・・・涙) 

それも初日が開いてから 知らされずに 突然の休憩時間 短縮!!

これにはビックリいたしました!!

10分足らずで女形のお化粧 顔から背中 手足を いっしょくたんに 白に塗って (普段で こんな事をやったら怒られます・・笑)

衣装を着て 鬘をつけ 花道まで女形の格好で 走って行った事を思い出します。


その時 成田屋さんの鯉紅さんが、遣り手に出ておられ 
毎日 私を待ってて下さっており

「御苦労さま!!ごめんね 早ごしらえさせて・・」と 毎回 声をかけて下さり 
そう言って頂けたのが、凄い救いでした。


その鯉紅さんも 昨年の末に御逝去されて居たと知り 
残念な気持ちでいっぱいです。



どんな時でも 舞台の上では 私たちは その時その時の役になり、
一生懸命そのお役を 勤めております。

その場には 決して 早ごしらえの苦労は 見せません・・・(笑)

見せませんが、裏には 色んな事が ございます。
そして その 色んな事を ちょっと分かってくれる 身内がいるのも
また 嬉しい事。


どんなしんどさも 一瞬にして、解消しておりました。


私も、見えない所で 舞台を支える人を 
激励できる立場になれたらいいなあと思っております。


『鬼揃紅葉狩』の舞台上で、ついつい この事を思い出して
おりました。

先月から 引きずっておりました 体の痛みも ようやく癒え、
やっと この文章を 載せようと云う気になりました。

ちょっと 今更感満載ですが・・・お許しくださいね。



そうそう、ブログを書くために 調べておりましたら、
この時の『助六由縁江戸桜』には 先日 試演会での『一條大蔵卿』を演じ
好成績を残した現千次郎さんが、子役として 金棒引きで 出演されておりました。

この時も 共演していた事になるのですね(笑)


今から・・・17年前のお話です。