博多座の斜め向かい、川端商店街の入り口に ある銅像がございます。


博多が生んだ世紀の役者? 



そのひとの名は 川上音二郎。 

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奥様は当時の人気芸者 貞奴。1894年に結婚されております。

その貞奴の一番の贔屓であったのが 当時の総理大臣 伊藤博文。

彼女についての公開講座を ちょうど 一年ほど前に聞きました。
日本の女優の始まりと云う意味で とても意味のある方だったと思います。

貞奴が後年暮した屋敷が 名古屋にございます。
私は 行った事が無いのですが、一度行ってみたいものですね。

話がそれました・・・


それにしても 凄い関わりですが この人 当時の政府を批判した
「オッペケペー節」でも有名ですね。


日清戦争が始まった折 早々に朝鮮半島に渡り 取材をして 帰国して
戦争劇を上演した所、大当たりをとり 

1895年「威海衛陥落」と云う芝居を 当時の東京歌舞伎座において 
上演しており これも大評判だったそうです。



ただ当時の九代目團十郎さんは 素人が歌舞伎座の舞台を踏んだと云う事で
興行主(当時は松竹ではございません)に対して 
大激怒だったと云われております。


九代目團十郎さんの天覧劇『勧進帳』が1887年と云いますから そのすぐ後。



今と違い 当時は海外に渡る事さえ 大変だった時代に朝鮮半島を始め 

フランス・パリやヨーロッパ各地 果てはアメリカまで渡って 
お芝居を興行して評判をとる。

これは凄い才能と バイタリティだと思います。


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その方の生まれた地が この博多区対馬小路 (つましょうじ)

博多座から5分ばかり北 この前、夜釣り 朝釣りに行った海の方向に
向かったところあたりです。


今月 博多座で團十郎さんが『勧進帳』を出されており その博多座の方向を向いて
扇をかざしている川上音二郎。 



時代を越えて なにか因縁を感じるのは私だけでしょうか?