先日 一門の笑三さんより ワッハ上方の資料展示館の招待券を 貰いました。

ちょうどこの時期 見たいと思っていた企画展がありまして、
ずっと行きたいと思っていたのですが 11時開館~の18時閉館。

あれ??

私行きたいと云ったわけではないのに 何か通じた??
ありがとうございます~


ですが、残念な事に ここの開館時間と 私の楽屋滞在時間が
ほぼ同じ時間帯なのです。 

ちょっと時間的に厳しいか??と思っていました。

が、やはり行きたい!!

出番終了後 18時の閉館までと急いで参りました。



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正味45分くらいでしょうか? 
でもやっぱり ゆっくり見学するには 無理でした。



私がなぜ ここの資料展示館に行きたかったか? 

それは もちろん上方芸能に関する資料がたくさんある事は 
存じておりましたが

今回急いで行った訳は 展示館で 夢路いとしさん 喜味こいしさんの
特別展を開催されていたからです。  


父が宝塚新芸座時代から 東宝の芸能会社(当時は大宝芸能)に所属していた折は 
同じ事務所に おられました。



そのお二人が 漫才界に復帰され 父が歌舞伎に復帰し 

私が歌舞伎に入門いたしましてからは、劇場も変わりましたし、 

その後はなかなかお会いする機会はなかったのですが

子供の時分は 父が新芸座の時代 そして喜劇の世界に居たころには 

私も舞台出演の折々には おふた方に本当に可愛がって頂きました。



テレビ出始めの頃 子役で出して頂いた 関西テレビの生放送 

茶川一郎さんの「一心茶助」

いとしさんが家老の大久保糸左衛門 こいしさんがとなり長屋のこい吉。



また梅田コマ劇場のダイマル・ラケットさんの『佐助と五右衛門』には 

いとしさんが真田幸村 こいしさんが三好青海入道で 

私が百地三太夫の息子のくノ一 三郎太。

10歳くらいの頃でしょうか?


その後もたびたび 色んなお芝居で ご一緒させて頂きました。



思い出しますのは 1966年1月 梅田コマ劇場の公演「喜劇 白浪五人男」の時。

ちょうど「ウルトラQ」の第1回放送が 2日の初日にございました。


私は父の手伝いをしながら 見たく見たくて仕方がなく 

ビデオもない時期 「どこかにテレビがないかなあ?」 と思いながら 

楽屋の廊下で イライラしておりました。
(今のように 各楽屋や廊下にテレビがあるなんて事はありません)


そうしますと、ちょうどお芝居の出番を終えた いとしこいしさんが 

エレベーター(?だったと思います)から降りて来られまして、

廊下を「なんやらQ! なんやらQ!」

といいながら お二人で 走ってこられました。
(記憶が定かではないのですが、お一人は目明しの恰好だったかな?)


楽屋の前あたりをうろうろしている私に

「ボク!! なんやらQ 始まるで・・ 見においで!!」と  

楽屋に誘ってくださいました。


私は嬉しくて 飛び上がらんばかりだったのを 覚えております(笑)


5インチくらいの小さい白黒テレビに 3人でかじりついて見た思い出がございます。



あの頃 円谷プロの初めてのテレビ放送『ウルトラQ ゴメスを倒せ!!』


30分番組だったのですが、前半の15分では 怪獣が出て来ません。

途中のCMまで 出て来ないのです。

「なんや、もったいぶって なかなかでてきよれへんなぁ」

「なかなか だしよれへんなぁ」

そういう お二人の会話を聞きながら ご一緒させて頂いたのは
本当にいい思い出です。


いとしこいしさんと3人で見た思い出を 今日 ワッハ上方資料館で 
お二方のお写真の前で 改めて思い返し 感慨に耽っておりました。



その後、昭和55年11月。

コマ歌舞伎に出ておりました時に、かつら合わせに来られていた
夢路いとしさんに お会いしました。

私は なんと 西遊記の蜘蛛四天で 隈をとり、あのかつらをかぶった姿。

「いとし先生! お久しぶりです! 冠十郎の息子です!」

と云ったのはいいのですが・・・


「ああ・・・えらい顔で・・・」

と言われてしまいました。

自分が その顔をしている事を すっかり忘れておりました(笑)

これが お会いした最後になりました。

今大阪で、この展覧会があり、改めて いろんな事を思い出しておりました。
同じ西遊記の 蜘蛛四天の思い出があると云う事・・・

なにかご縁を感じます。


いとしさんがお亡くなりになった後、せめてもう一度こいしさんに
お会いしたいと 思っていたのですが・・・

それもかなわなくなりました。

できれば もう一度 お二方に お会いしたかったです。



今日の写真は ワッハ上方の資料展示館の前で お二方と
一緒に撮らせて頂いた写真です。



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