今日 夕方に再び 大阪に参りました。 

昨日は地元東京 それも板橋で・・・今日は新大阪に着いてから 土砂降りでした。

(後で聞いたタクシーの運転手さんの話では お昼までは
 晴天だったそうです。)
            

地下鉄で難波まで行き 南海電車に乗り換えましたので 
東京の自宅を出てから 雨には会わないでここまで 来たのですが
難波を出て区急が 途中の区間 警戒速度だそうで時速25km。
ノロノロ運転でした。


そりゃそうでしょ 大和川を渡るあたり ゲリラ豪雨でした・・・。

電車の窓から見ると 洗濯ものをそのままにしてある所が 至る所に・・・
中には布団やシーツを 雨の中そのままにしてある所も・・・。
間に合わなかったのでしょうね。



やっと 滞在場所に到着してホッとしてテレビを見ましたら
第13回 世界陸上大邱(てぐ)大会の開会式と 女子マラソンの様子を
放送しておりました。


今日から また熱い戦いが始まるのですね。


世界陸上と言えば 1991年の第3回大会は 東京で行われ 
この時の開会式 閉会式の演出は師猿之助が担当され 
振り付けは右近さんのお父上 飛鳥峯王さんが担当されました。



8月の暑い中 私たちは軽井沢での練習の後、その後は埼玉栄高校へ・・・。
 
学生さんたちとの合同練習に訪れ 何回も何回も 練習を繰り返してきた事も 
いい思い出です。(笑)

(余談ですが 埼玉栄高校では 練習を繰り返すたび 
 高校生ですから 嫌気がさすのでしょうね。・・・笑
 ダラダラしていたのが、国立競技場での所謂 舞台稽古 
 本番近くになりますと 各国からの選手や 当時のスーパーアスリートを
 目の当たり致しますと 一気に ボルテージが上がり
 本番が一番いい出来であった事は 開会式のビデオが物語っております。)



猿之助演出の開会式 

大変大がかりで グラウンド上に移動式の能舞台 3基を動かしながら
地球創造の熱きエネルギーのガスを 歌舞伎の獅子に見立て 
爆発と調和を繰り返す 舞踊の振りの元 戦いと平和を表現し 
そして そのエネルギーはそのまま アスリートたちの魂に 
平和と調和はそのスポーツのルールに・・と 

世界の人々が 一同に集まる祭典を表現していました。



この時の開会式に 私は 坂東弥十郎さん 故猿十郎と共に 
黒獅子の荒々しい「混沌のエネルギー」を表現するひとりに参加させて頂き 

白獅子は「ルールのエネルギー」を表現しておりました。 
白獅子に扮するのは右近さん 猿弥さん 信二郎さん(現錦之助)。



今から思えば 世界陸上と云う分野の違う舞台に 師猿之助の力で
立たせて頂いたようなものです。



もうひとつ 余談ですが この時 笑三郎さんは音楽担当で
私たちのお稽古に 付き合ってくださり 本番には出る予定は
ありませんでした。


ところが猿之助旦那が 歌舞伎の舞台に移る前のイベントに
大いに疑問を持たれました。

イベントそのものは 旦那の演出ではなく 
初めから組み込まれていたものです。

そのイベントとは 開会式のパフォーマンスの時間に 他の所より発した
人の乗った気球が 国立競技場の上に到達し その気球から綱を伝って 
グラウンドに下り立ち 演技をすると云う物。

そこで 旦那は 
「万が一、この気球が 来られなかったら?この後はどうする?」

と云う 素朴な「?」を 感じられました。

感じられただけではなく、万が一の為の 準備をしますのが
凄いと思います。 

密かに笑三郎さんにヤマトタケルの 倭姫(記憶違いだったらごめんなさい)の
お化粧をして かつらをかぶり 衣裳を着て 
聖火台の横に待機していなさい。・・・と 


当日・・開会式は今日の様なお天気 開会式はなんとか執り行われましたが、 

案の定、気球が強風にあおられ 競技場まで やって来ません!! 



聖火は灯りました。 

テレビは生放送を始めました。 

当時の司会の徳光さんは ナレーションを始めました。



でも 予定の気球は来ません 

その時 聖火台の裏から 笑三郎さん扮する 女神が現れ 
客席の両側に笑みを送りながら 階段をゆっくり下りて来ました。


映すものがない 放送するものがないテレビは この女神を 
ず~っと追い掛けました。


そして徳光さんの解説「地球に明かりを灯した 女神が今 国立競技場に 
平和の明かりを灯すために 地上に下り立って参りました!!!」と 
絶叫 アナウンス。


そして「扮するは 猿之助一門の中の若手女形 市川笑三郎!」 
と 名前まで全国放送です。(笑) 


テレビ局も救われたでしょうね。(笑)映すものができて・・。


結局 私たちの歌舞伎のパフォーマンスより 一番長く 
放送されておりました。(笑)


恐れ入ったのは 師猿之助の先を見る目。 

もし、これができなければ なにが画面に映る?

そのためには 何を用意しておけばよいか?



これは、たまたまであったかもしれませんが 
そう云った 万一の場合の 2の手 3の手を 
旦那はいつも考えておられます。


そこに笑三郎さんが居た事。 
私、本当に「このひと 運の強い 努力の人だなあ~。」
と思った次第です(笑)
当時二十歳そこそこですもんねえ~
 


そしてこの大会の折 
スーパーアスリート 男子100m走のカール・ルイスが9・86と云う
当時 前人未到の記録を最終日に決め この大会 最高の盛り上がりを
見せました。


もう、20年前の事です。


今大会の開会式は見られませんでしたが、今日の突然の天候の変化とともに
急に記憶がよみがえりました。

(すでに大阪に来ておりますので、映像資料も何もない中で記憶を頼りに
 書きました。細かいところで 相違がありましたら ごめんなさい)

ところで、この大会の開会式、ご記憶の方おられますか?(笑)