いつも名古屋 京都 大阪方面へ仕事に行く時の行き帰り、

新幹線の中から 気になるお城を見ていました。 それが掛川城。

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今回の帰京ツーリングでも  昨日の浜松城に続いて

行ってみたいお城の ひとつでした。



用事がないと 訪れる事のない途中の駅 掛川。



掛川城は静岡県 掛川駅前にあり 云わずと知れた 土佐に移る前の 山内一豊の居城。

禄高 7万2千石。 

(掛川に来た当時は 6万石程だったそうですが 10年の間に禄高は 
 増えたみたいです。 山内一豊の治世の力でしょうね。)



そして関ヶ原の合戦の時に、家康側 東軍に付き 東軍の勝利後は
家康の恩賞で土佐の国へ領地替え 24万石に加増されます。


でもこの一豊 関ヶ原の合戦の折には 後詰では出城を落とす時などに
支援は致しておりますが それ程の手柄は立てておりません


ではなぜ 先の土佐24万石に加増になったかと言いますと 
私の好きな本のひとつ 司馬遼太郎さんの『関ヶ原』の中では 
三成が大阪にて蜂起した後 軍議の最中 豊臣方の家来の多い中で
東海道の要 掛川城を家康に提供して 

「自分のお宿として下さい。私は野宿でもよい」

と 一番に発言して家康側に付く事を示し 
家康の信頼をいの一番に得ます。


家康は大いに喜び その後 家康側に付く武将が続出 
その時の功績を 家康は高く評価して 土佐の移封につながるのです。 


同じ司馬遼太郎さんの『功名が辻』でも、千代のおかげで 
分不相応の名馬を 黄金10枚で買い取り 信長の目にとまり 
出世コースを登って行く 一豊ですが
合戦では それほど目立った働きは しておりません


しかし 実直で 人を裏切らない性格を 家康はよく知っていたのでしょうね。(笑)

後の裏切りの続出する 大坂方の武将に対する扱いにして 
山内一豊だけは 信頼して居たと云う事なのでしょうね。




この掛川城。 

新幹線から見ると 小さな天守閣が見えるだけの、
こじんまりとしたお城かと思いましたら

なんと 町に下り立ってみると 一大城下町で 大手門から長屋門。 

天守閣までが 大きい大きい!! 

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お城は割と新しく(1994年の再建)綺麗です。

そして、このお城 日本初の木造建築の復元天守なのだそうです。

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天守閣に上がる時 靴を脱いで上がる天守閣は 初めてではないでしょうか?
とても綺麗な板の間で 本当に市の管理も行き届いております。
私も一豊に なぞらえてみました。(笑)

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そして横の御殿は 広い広い かっては一豊も居たであろうその 二の丸御殿は
1861年のものが現存しており、現在 重要文化財になっているそうです。

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が、その重要文化財、割と自由に見学する事が出来、入口には
「撮影可能」との 表示もありますので 遠慮なく楽しませて貰いました。

それもそのはず・・・この二の丸御殿では
東山紀之さんと片岡愛之助さんの映画『小川の辺り』や『必死剣 鳥刺し』
『雷桜』などの 時代劇の撮影に 使われているそうです。 

とても 古風な感じで どこを切り取っても 絵になる風景


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天守閣から見る城下町は まるで新幹線が 箱庭を走る 
鉄道模型のジオラマの様に見えて 車窓から見えていた掛川城とは
あまりにも違いました。(笑)


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立派な掛川城。 

天守からの眺めを楽しみ、御殿の空間を堪能いたしました。

本当に 一部だけを見て 全部を評価してはいけないなあ と 
認識の足りなかった自分を 反省した次第です。