今日は 思いついたままの私の感想です。

徒然なるがままに 書きましたので くだらない内容かもしれません(笑)

先にお詫び申し上げます。




現在 暑い大阪の夏を満喫致しております。(笑)

休暇と云うのは 本当に日が経つのが早いです。


徳島の夏が1週間 大阪へ来てもう10日間が過ぎました。


そのうちの4分の3の日数は バイクで外出を楽しんでおりますが
残りの4分の1は 朝から晩まで 1歩も外へ出ないと云う日もあり 
それもまた 楽しい休暇の過ごし方かな と 思っております。


1歩も外へ出ない日は DVDで映画を楽しんだり 
録画してあった番組を見たり 贅沢な過ごし方ですね。(笑)


それもあと半分 来月は大阪松竹座の公演なので 
同じ大阪でもこうは行きません(笑)



今月 大阪で色んな名所旧跡などを訪ねて 思った事。

大阪 いや 関西はやはり 色んな歴史の深いところだなあ 
と認識を新たにしたところです。



そこでふと振り返って見ました。


東京はと云いますと なるほど江戸時代の歴史の足跡は 
色んなところで見る事ができますが 

関西みたいに 大和時代 奈良時代 平安時代
などと云う歴史の積み重ねや 足跡がありません



鎌倉や 奥州平泉などは鎌倉時代あたりの 歴史が見えますが 
東京は、所謂 関東平野は 徳川家康が開墾してからの歴史しか 
あまり見えないのです。


そう云う意味では 家康も凄い人だなあとは 思いますが その前は 
太田道灌あたりでしょうか?


ヤマトタケルが蝦夷であった 東には来ておりますが 
焼津から三浦半島 走水から 千葉 木更津あたりに渡り 
その足跡は確かに千葉にありました。
(以前のブログでも書かせて頂きましたが・・・。)


関東平野と云う大きな空間が、歴史流れの中から 
極端に抜けていると云う事実に
関西を旅してみて 今回初めてわかったような気が致します。

断片的には 弥生時代の命名の元になった遺跡や 平将門などは
ありますが。。。

もちろん私は 板橋に住んでおりますので 
江戸時代以前の豪族の人たちの名前が 
色んな区の名前に なっている事は存じておりますが 
それでも 大きな歴史の中では 埋もれてしまうような出来事でしょうか?




もちろん、関東平野にも 長い長い年月、たくさんの人たちが
生活をして、個々の歴史は あるのは 当然なのですが、

歴史の舞台という意味では 中心になっていた関西では
歴史が 層になっているといいますか、幾重にも積み重なった
そんな感じが致しました。


上手く云えないのですけど。

決して 関西と関東を 優劣で考えてる訳ではございませんので
ご理解ください。


今回 関西を旅してみて 関東と云うのは不思議な存在だあと 
思った次第です。