昨日 吉野山を後にしてから やはりここは行かなくては・・・

と思うところを 回り道で訪れました。


バイクはフットワークの軽いのがいい所!!(笑)


『義経千本桜』の主人公のひとり 「いがみの権太」


この権太の墓が下市にあると聞き 探して訪れました。

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え? 創作の人物の墓が なぜあるのか? ですって?

そんな野暮は云いっこなしです。(笑)



安徳帝は 御裳裾川(みもすそがわ 現在の関門海峡)で命をなくしますが、
そのお墓は日本全国 至る所にありますし 

追い詰めた義経も 衣川では命を落とさず 蒙古に渡って
ジンギスカンとなった。
なんて膨大なお話もあるのですから・・・(笑)


そして近く?には権太に騙された 主馬小金吾のお墓もありました。(笑)

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私の右手の下にあるのが 小金吾のお墓で 以前 演らせて頂いた
猪熊大之進をもじって見ました(笑)

もっとも大之進も小金吾に 斬られて果てるので このあたりに
お墓があってもいいはずなんですが・・・(笑)


ただ この二つのお墓 確かに分かりづらく 訪れる人も少なく 
荒れた雰囲気を漂わせており、近くの方でさえ だれの墓?
ってな感じで、あまり関心がないように 見えました。


物語の中のお話も 今では知っている方も 少ないのかも知れませんね。



そして 権太に小金吾とくれば やはり
「つるべすし 弥助すし」でしょう。(笑)


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本店にお邪魔を致し お土産用のお寿司を二つ。

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鮎の姿寿司(上)と 同じく鮎のかば焼き風のお寿司(下)二つを 買って帰りました。



その時 当代49代目のご主人 弥助さんとお話を致し 
ご主人も 私に興味を持って下さったらしく 
「なぜ わざわざここへ?」と言われ

実は市川猿之助一門 市川猿三郎である事を告げ 
色んなお話を伺いました。(笑)



そして先代のご主人が 先代の中村勘三郎さんと一緒に 写っておられる
写真も見せて頂き 現在のご主人が 現 中村勘三郎さんと 
同じように 一緒に写っておられる写真も 見せて頂きました。



私も一緒に 写真を撮らせて頂きたかったのですが バイクで伺い 
Tシャツでの姿では ご主人とは、とても恐れ多くて 
言葉に出ませんでした。(笑)


でも 師猿之助のお話も伺い 
「随分前にお越しになって下さった事が あるのですよ。」
と おっしゃって頂き嬉しくなりました。



忠信 知盛 そして いがみの権太は うちの旦那の当り役!!

お店には 二代目鴈治郎さんの権太と 扇雀当時のお里(現坂田藤十郎さん)と
先代 弥助さんと 3人のお写真も 飾られてあり 
江戸時代当時からの老舗のお店 と云う 印象を深く致しました。


私も来た証しに この額の写真と 一緒に収まりました。(笑)

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お店の裏には 維盛塚 お里塚などもあり 
そこも見学させて頂きました。

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思いがけず 歌舞伎では重要な 当代のご主人 そしてお店と
お知り合いになれ 本当に感慨深かったです。


そして 下市「村」を後にして 帰路につきました。

(現在は「村」ではございませんが、どうしても私には
 芝居の 下市村 の気分になってしまいました。)

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もちろん夕飯は この二つのお寿司を みんなで美味しく 頂きました。(笑)



明日は 歌舞伎ではあまり登場しない 吉野のもう一人の主人公のお話です。