昨日の不安定なお天気とうって変わって 今日は晴天。
(移動日を昨日にしなくて良かったと つくづく思いました)


大阪ツーリングの 第一弾。

今日は、東に向かい、藤井寺市や羽曳野市などの河内地方を
散策に参りました。


このあたりは、中学・高校時代の通学に使っていた 
近鉄電車の行先表示としては よく見ておりました。


藤井寺行きとか、古市行きとか・・・
(私は 中学では 針中野、高校は長瀬で降りておりました。)

名前はよく知っておりましたが、実際に 観光やその場所を勉学の為に

行った事はありませんでした。


今回は その過去の思いを払拭して 改めて このあたりを訪れてみたいと
思った次第です。


もちろんバイクで 9時前に出発して、色んなところを回り 2時半には帰宅。



結構 あちらこちらに 行ってまいりました。


今日は その中から 一番時代の古いもの。と来れば、

おもだかやの一門では もちろん やはり『ヤマトタケル』


羽曳野市にございます 白鳥陵(軽里大塚古墳)。

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ヤマトタケル(あえてカタカナで書かせて貰います)の墓は
何か所かございますが、ここもその一つです。


『日本書紀』によりますと、能褒野(のぼの)で亡くなった後、
白鳥になり空を飛び、大和国琴弾原(御所市)、河内国古市(羽曳野市)
と回ったとされております。

その古市にありますのが これ。


羽曳野という地名も(以前書いた事がありますが・・・)
古市から 埴生の丘に「羽」を「曳」くがごとくに飛び去ったからとか。


この近くには、系図的には ヤマトタケルの息子(ワカタケル)
にあたる仲哀天皇陵や 孫にあたる応神天皇陵 などがございます。


仲哀陵は 横を通っただけなのですが、応神陵は見て参りました。

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その応神天皇を祭っております「誉田八幡宮」(こんだはちまんぐう)

(昨日は ほんだはちまんぐうと 書いておりましたが こんだはちまんぐう
では ないでしょうか?と コメント欄に*nao*さんから ご指摘いただき 調べさせて頂いたところ こんだはちまんぐうが 正式名称でしたので 
謹んで訂正させて頂きます。 *nao*さん ありがとうございました。)
 


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物語の中の ヤマトタケルの一族が、ここに息づいていること
とても 不思議な気持ちが致します。

(タケヒコもここを眺めたのかなあ?)



白鳥陵から 古市駅をはさんで 東には 日本武尊を祭神とした
「白鳥神社」もございました。

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この神社は 元々は、先ほどの白鳥陵の頂きに鎮座していたとか。

古墳の上に神社と云うのは 結構あるのでしょうか?
私は あまり聞いた事がないような気がしますが。


もっとも 大阪で私が生まれたのが 住江(すみのえ)

住みなれたのが大和町(やまとちょう) 

そして高津町(こうづちょう)

応神天皇の息子 仁徳天皇がおられたのが この高津神社の場所。
今おります 堺には 仁徳天皇陵が ございます。


みんな大和時代に縁のある地名でして そして東京へ移り住んでからも

随分長く 大和町と云う名の地名に住んでおりました。


これ みんな大和民族が 蝦夷征伐で訪れた時に 住んでいた所の

名残だそうです。


私の人生はわずかまだ 60年未満 

それがおよそ1500年前近くの遺跡が、このあたりの至る所にあるのが

却って目を引きます。

(学生時代には そんな事 思いも寄りませんでしたが・・・)



今日はまず スーパー歌舞伎で御馴染の ヤマトタケルの足跡を
追ってみました。


もっとも 猿之助旦那や 右近さん 段治郎さんが初演の折には 
報道関係 会社関係で 白鳥陵や 白鳥神社は 
とっくに訪れておられた場所ですが、

私が 直接のお役に関係無ければ その芝居に出演しているからと云って 

そこを 訪れる事は 意識の違いでしょうか? なかなか難しい事です。



今 やっとこの年齢になって 改めて個人的に自分が出演していたお芝居の 

お役に関係する 縁の場所を訪れてみたいなあ・・・ と思った次第です。