今日、正午で テレビのアナログ放送が終了し、
地上デジタル放送に完全移行致しました。

その正午には ちょうど自宅で出勤の準備をしていた私。

一応、自宅の二台のテレビは 前もってデジタル対応の液晶テレビに
変えておりました。

ので、正午になりましても いつもの通り。
なんら 変わりのない画面を見る事ができておりましたが、
唯一気になっておりましたのが DVDのチューナーが
アナログしか対応しておりません事。

ま、急ぐことなく 徐々に(来月あまり自宅に居りませんので)
買っていこうかなあ~

と思っておりましたが やはり あの「お知らせ画面」に
なっているかなと 興味津々で 切り替えましたら・・・


あれ?映ってる(笑) デジアナ??ってなに??

どうやら、ケーブルテレビの関係で これからもまだ
チューナーを通してデジアナで見られるみたいです。
(と云うより 録画できそうです。)

ひと安心。



ちょっと 前置きが長くなりましたが、題名のひとつ違いの弟。

実は 日本のテレビ放送。

これは 私が生まれました年よりも 一年後に始まりました。
まさに「ひとつ違いの弟」です。(笑)


もっとも、この時代では テレビは 各家庭にある訳ではなく
本当に街頭テレビの時代でした。


我が家は 父冠十郎が、比較的新し物好きだったのか、
私が 幼稚園か小学一年生の時、昭和33年(1958)頃には 
テレビが自宅にありました。

(アパート暮らしなのに・・・笑)

『月光仮面』の初回から リアルタイムで見た覚えがございます。
昭和33年2月~翌年7月までの放送ですので 私はやはり幼稚園??

『お笑い三人組』や『大相撲』などの番組を見るために
近所の人たちが我が家(アパートの一室)に集まってきましたのも
子供の頃の懐かしい思い出です。


私個人としましては、父の仕事の関係上 5歳の時に(1958年 昭和33年) 
大阪NHKの『今は昔の人々』というドラマに子役として出演致しました。

これが 私のテレビ初出演。
(もちろん 当時は生放送ですので 録画は残っておりません)


が 実は父が NHKのテレビ局のスタジオでカメリハの様子を
撮った8ミリが 現存します(笑)


その時は なんとも思っておりませんでしたが、
テレビの放映が始まって まだ 4年しかたってなかったのですね。
凄い時期に テレビに出たものです。

(この後も 何度かテレビには出ております)


また、小学校4年生の頃 梅田コマ劇場のお芝居に出ていたときに、
民放の劇場中継があり、この時もテレビに出演致しました。

(放映された時 高齢の祖母が アパートの一室で ご近所の方々と一緒に
 テレビを見てくれていて 泣いていたそうです。) 

父は もっとたびたび 色んな番組に出演しておりました。


今日は 昼前後に NHKで『その時みんなテレビを見ていた』という
番組をしておりまして、前編を録画しておりましたので、
先ほど夕飯を頂きながら 見ておりました。


昭和38年(1963)の初めてのアメリカからの衛星放送であった
リアルタイムでのケネディ暗殺事件の放送。(衝撃的でした!!)

昭和39年(1964)の東京オリンピックの開会式、また東洋の魔女の試合。
(東洋の魔女 これで分かって頂ける方は 私と同年代ですね。・・笑)

この時代 学校の先生から こう云われました。
「今 ここに居る君たちが 恐らく二度と東京オリンピックと云うものを
 見る事はないかも知れない・・・。」と

その時には 理解できなかった言葉も 今では凄い 意味の深いものであったかと
思います。


そして昭和44年(1969)のアポロ月面着陸。(本当に感動しました!!!)


このすべてを リアルタイムで テレビで見ておりました。

どれもこれも 本当に興奮しながら テレビの前に居た覚えがあります。


今日の番組では 小学生の子供たちが 学校のテレビでアポロ着陸を
見ている様子がありましたが なぜか 私の記憶は 自宅テレビ。

アポロ11号の月面着陸!!  あれ?? 学校は?? 
たしか私は 高校2年生だったはず。

それもそのはず、7月21日の事でしたので 恐らく終業式後の
夏休みだったのでしょうね。


その時々の 興奮は 40年以上経ちました今でも 
今日の放送を見ますと 目の前に思い出されます。

テレビと云うもののメディアの凄さを実感しているのは
私たちの世代だと思います。


まさに 私よりも一年遅く、日本に誕生した テレビ放送。

今日正午でアナログ放送が終わり 新しい地上デジタル放送に 
代替わり致しました。

子供のころ見ていたテレビに比べると 別ものに近い美しい画像。

また、ほんの少し前まで普通に見ていた アナログテレビと比べても
格段に綺麗になっております。


テレビ誕生と云う 娯楽の大変換期は 何となく 子供の頃でした。

その後、白黒からカラーへの激変の時代を 目の当たりに致しましたが、
また、大きな変換の時期を 体現している気分です。

テレビとともに歩んでまいりました。

このまま、供に 手を携えて 成長していきたいと思います。

まだ、当分、自宅テレビを3Dにするつもりはありませんが・・・
一体どこまで 行くのでしょうね。

楽しみの様な いつか置いて行かれるのではないかと 焦るような。

複雑な気分です。