4月16、17日の両日 宝塚文化創造館 講堂ホール(宝塚音楽学校旧校舎)で 
『宝塚新芸座 思い出公演』と云う 催しがございました。


新芸座とは 現在はバウホールと云う建物になっておりますが
もともとは、1951年に映画館を改装して新芸劇場と云う 
芝居小屋が作られたことに始まります。


歌舞伎やミュージカル 現代劇など様々な実験的なお芝居も
数多く上演され ファンの方も 多くおられました。

約30年間にわたり 活動して参りましたが 
老朽化が原因で 閉場して40年。 

劇団は座員さんだけの活動となりましたが その後解散となり 
現在に至っておりました。

 
その元座員さんたちが もう一度 新芸座で思い出公演をしようと云う事になり 
今回の催しとなったのだそうです。


過去の座員さんたちには ミヤコ蝶々さん 南都雄二さん 
いとし・こいしさん Aスケ・Bスケさん などの漫才の方々や 
父 嵐冠十郎  歌舞伎役者では 嵐三右衛門さん  
市川小金吾(後の青虎)さん 三代目 市川猿十郎(後の岩井貴三郎)さん 等々
当時の若手歌舞伎役者も多くおられました。


そして落語家さんたち 現代劇の方々も多く在籍され 
同じ舞台を踏んでいたのです。


父から聞いた話では 『勧進帳』を まともに歌舞伎の扮装をして 
長唄の替わりに タカラジェンヌのコーラスで上演したり  

清水次郎長伝を 漫才の方 落語の方も合同で 
歌舞伎役者と一緒にお芝居したりと
その内容は 本当に様々な 分野にわたっており 
その記録も一冊の本になっております(非売品ですが)。


以前にもお話させて頂きましたが 私も5歳の時 
この一座で初舞台を踏みました。

宝塚新芸座公演の『無法松の一生』
私は吉岡少年の役でございました。
 
初日が 宝塚との交換舞台で 宝塚大劇場で幕が開きました。
 
(今から考えますと なんと 不思議な公演形態でしょうか・笑)


そう云ったいきさつが ございましたので 実行委員の辻様より 
私に連絡が入りました。

(辻様から連絡いただきましたのは また、ある方との
 思いがけないご縁もありました。
 この辺りは また 機会がございましたら・・・)
 

元座員の歌舞伎役者さんは みなさんが鬼籍に入られております。

なんとか ご出席頂けないかと・・・

(私が本当に子どもでしたので、後にも先にも 新芸座の舞台を踏んだ
 歌舞伎役者というのは もう 私しか残っていないでしょう)


残念ながら今回は 四国金丸座に出演の為に 
この催しに参加させて頂く事は 叶わなかったのですが 
当日 父の名前と 私の名前で お花をお祝に送らせて頂いたところ 
ご丁寧に コメント欄にお礼の言葉と その日の様子が
書かれてあり ロビーに飾って下さったそうです。


父の名前にお客様や 元座員の方々が、驚かれたご様子でしたが 
懐かしんで下さった方々も 多く居られたとか・・・ 嬉しい事です。


当日には 元座員の笑福亭松之助さんや 大村崑さん 吉井祐海さん 
大坪ミト史さん達も 舞台のトークショーで 当時の新芸座を懐かしんで
お話がはずんだようです。。


司会と共に この催しの実行にあたられた 辻則彦さん 
本当にご苦労さまでございました。 


次の機会は 私も是非 参加させて頂きたいです。  

なんといっても 私の初舞台。
もう *0年以上も前のことなのですが・・・

本当に懐かしい 新芸座公演でした。

私の新芸座の思い出も また改めまして 書く機会がありましたら
書かせていただきたいと思います。