先日、傾城のあたま『立兵庫』に関するブログを
書かせて頂きましたところ

皆様に大きな 関心を寄せて頂きました。


この「立兵庫」ですが 昨日の読売新聞に ドイツのボン大学で
日本の幕末・明治から昭和初期の風俗の写真が 
1000点以上 このたび見つかった、と云う 記事が
掲載されておりました。


その中で明治初期の金閣寺と 
大正から昭和初期らしい 遊女の花魁道中の写真が2枚
掲載されておりました。


あまりのタイミングに 思わずビックリ。

その花魁は まさに「立兵庫」を結っており 
歌舞伎の吉原のように 禿を従え 高下駄を履く様が 
写っておりました。


今まで、なぜこの写真群が、出て来なかったのだろう。

と云う疑問に対して
解説には、カメラマンが ただの時代の風俗をカメラに収めただけで 
場所の時代の重要さ どこの誰か と云う事には一切触れず 
その時代の風俗を撮影した、云わば スナップ写真。 

と 紹介されておりました。



私も時々 昭和のはじめの頃の吉原の写真などは 
見た事がありますが、本ものの花魁道中の写真は 初めて見ました。

(この記事を見た後から ちょっと調べて見ましたら
 ネットでも見る事が出来るようですが・・・)


場所 風俗的な事は別として やはり大夫と云う 風格は
すごいものがあるなあ~ と
この 当時の本物の写真を見て 思いました。


本当は 写真を撮りたかったのですが、新聞の紙面を撮る事は
いいのか悪いのか??
自信が無かったので 撮りませんでした。

また、ネットニュースで出てましたら、リンクを貼りたいと
思ったのですが、こちらも 見つけられませんでした。残念。

どこかで見つけられましたら 見て下さいませ。



その写真では禿が肩から 名前を刺繍(ししゅう)? 
されたようなものを かけておりました。

おそらく 今でいう 宣伝のようなものだったのでしょうか?
看板と云ったら 色気が無さ過ぎますね(笑)

でも、禿全員が 同じようなものを かけておりました。

よくは見えないのですが・・・「長山」と書いてあるような? 
大夫の名前でしょうか?


そして、このあたまの名前、「兵庫」と云うのは 
江戸前期 今の兵庫県の遊女が 結って流行らせたことから
この名がついたとか。

余談ですが 女髷の「島田」と云うのも 東海道 「島田」の遊女が
結っていた髪型だそうです。

「勝山」は遊女「勝山」が流行らせた結い方です。


この時代の遊女と云うのは 時代を先駆けての流行(はやり)
だったのですね。

最先端のアイドルと云うのには 少し語弊があるかもしれませんが、
流行はここから つくられていたのでしょうね。

その時代の流行の名前を場所で云うのは 「AKB48」も同じでしょうか?

あれ?AKBは 逆ですかね??(笑)