皆様ももう テレビや新聞の報道でご存知の事と思いますが、

先日 人間国宝の歌舞伎俳優 中村富十郎さんが御逝去されました。


昨年4月の歌舞伎座さよなら公演 閉場式の折には 
坂田藤十郎丈 中村芝翫丈とともに 本当にお元気に
口上を述べられておられました。 

あれほどお元気だった方が・・・と 二日以上たった今でも信じられません


昨年12月の国立劇場出演の折には お弟子さんとお話をし 

今月 新橋演舞場のお正月公演の出演に意欲を持たれていたと 
伺ったばかり・・



私が関西在籍の頃には 富十郎さんとは結構 御一緒させて頂きました。

父も武智歌舞伎で御一緒だった事もあり 一時 富十郎さんのお手伝いを
させて頂いた事も ございます。



1973年の中村富十郎襲名の 新歌舞伎座公演では 
私 現坂田藤十郎さんのお手伝いをさせて頂いており

襲名披露狂言の「京鹿子娘道成寺」と「船弁慶」での 
舞踊の鮮やかさには本当に目を見張りました。

そして延若さん扮する「夏祭浪花鑑」の団七に対しての 一寸徳兵衛は
口跡がよく 忘れられません


それから ご縁でお手伝いをさせて頂いた 

1977年 6月 新歌舞伎座 9月 御園座の 

山本富士子特別公演「浪花かんざし」


大阪 堂島の相場師と芸者の物語で 山本富士子さんの芸者
富十郎さんは 相場師のお役でした。


そのほか「封印切」の八右衛門では 藤十郎さん(当時 扇雀)との
息のあったやりとりも 忘れられません 


私が おもだかや一門になってからは 御一緒する機会が
少なくなりましたが 翔の会で「三社祭」を踊らせて頂いた時 

参考に 師猿之助旦那と富十郎さんの「三社祭」のビデオを
見せて頂きました。


そのお二人の鮮やかさ いきのあった踊りにこれも目を見張りました。


とてもこんな風には 踊れないと・・・ と


それも 国立劇場での公演で 1時間以上の四段返しの
早替わりの舞踊の中での「三社祭」。


ひとつだけでも息が切れて 大変なのに
このお二人は 疲れると云う事がないのかしら?



そんなお二人も 師猿之助は病に倒れ 富十郎さんは御逝去とは 

時の流れは ある時は残酷です。




富十郎さんとは たくさんの舞台を ご一緒させて頂きました。
たくさんの素晴らしい舞台を 見させて頂きました。

富十郎さん どうか 安らかにお休みください。   

御冥福をお祈り申し上げます。(合掌)