ル・テアトル銀座の公演も 早4日目、 
ロビーや客席も獅子舞が舞い
お正月公演の雰囲気を 醸し出しております。

お正月公演が危ぶまれたル・テアトル銀座の舞台でしたが、
玉三郎さんのお陰で 初日の幕を開く事が出来ました。

その情報をここ最近 連日ワイドショーや特集で玉三郎さん扮する
「阿古屋」の登場する場面を放映しており そのおこぼれ的映像の中で
私も 画面に出ております事が おも恥ずかしく 
緊張しているここ数日でございます。(笑)
(右手の先が 一番出演頻度が 高いようですが・・・苦笑)


その阿古屋でございますが、舞台の時代背景は平安末期でありながら 
その様相は 皆様ご存知の、江戸時代の傾城をもじっております。


この傾城の髪の形 この時代に この様な髪形はございません 


おそらく 江戸時代後期から明治 大正の吉原の
花魁と云われる方々の 情報から 歌舞伎は更に誇張して 
このかつらを作って行ったのだと思います。


花魁の松の位を表す この髪の形は「立兵庫」と呼ばれます。


立女形の演じる「揚巻」「夕霧」「八橋」 
その中のひとつがこの「阿古屋」です。


それぞれが 男に準じながら 違う生き方 死に様を見せる傾城ですが
この「阿古屋」は本当に拷問に遭いながらも 男を守る行き様をみせます。

ただ 本編の中で 三曲(琴 三味線 胡弓)を弾いて乱れが無かったから
本当に景清の居所は 知らないだろう?と云う 畠山重忠の解釈は 
私 猿三郎は正直 釈然と致しません。


阿古屋として知っていても 玉三郎さんのような名手であれば
その事を 知らせずに平然と弾く事は、可能であったと思われますし
その変化を 重忠は分かったと思うのも 自然ですし 

お互いが、お互いを思い 芸が武道を知っての 二人と云うのが
この場面での二人ではないかと 私は解釈いたします。



本当に 私の個人的な意見になるのですが、
仮に阿古屋が景清の居場所を知っていたとしても、
知っていたと 分かっていた 重忠は 「知らない」という
判断を下していたのかもしれない。と。

いわば、『勧進帳』弁慶と富樫の様な 関係であったとしても 
おかしくないのかもと・・・

これは、私の 完全なる私見ですので お捨て置き下さい。

心の揺れや 動きを 裏の裏まで・・・と思わずにはおられません。


とはいえ この場面で三曲を弾かれる玉三郎さん 
本当にすごい事だと 思います。

毎日 楽屋入りされた後 この三曲をひと通り 弾かれてから
お化粧にかかられます。  


本来でしたら 楽屋入りしてすぐに 「おはようございます」の
ごあいさつをするのが 礼儀なのですが、

今回に限りましては 玉三郎さんのお許しを頂きまして、
普段ではあまりない 出の前にご挨拶させて頂いております。


玉三郎さんの 自然体の邪魔にならないように、させて頂いております。


今日は 立兵庫のお話をしようと思っていたのですが、
そこまで 辿りつきませんでした。


明日に続きます・・・