映画等の『忠臣蔵』の大詰め 四十七士の吉良邸討ち入りの際、
その時の必要な小道具としては 槍 刀は当然ですが、 
呼子笛や 大石内蔵助の討ち入り開始合図の山鹿流の陣太鼓
また がん灯(明かり)縄梯子 大槌(おおつち) などが ございますが、 
この他に討ち入りの義士全員が 所有していた小道具がございます。


皆様 お分かりでしょうか? 



答えは小道具さんの云うところの「いろは札」と呼ばれるものです。 

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写真が その「いろは札」です。


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このように背中に差して 討ち入りの乱戦の際 後ろ向きでも
誰だかわかるように 示し合わせてあります。


そして 万一 討ち入りの際 相手方に、顔を切りつけられ 
斬り死にをして 誰だかわからないような場合や、
引き揚げに戻ってこなくても 誰だかわかりますし 

また、そばに仲間が居れば この札を遺品代わりに
持ってくる事になっていたのでしょうか?


現在の兵士が戦場で使う際の 番号認識票みたいなものですね。


幸い 討ち入りの義士はひとりの死者もなく 全員で引き揚げておりますが
もし本懐を 遂げる事の出来なかった場合。


例えば 吉良上野介が討ち入りの際 不在であったとか 
また 炭小屋での上野介を 見つける事ができずに朝となり 
役人たちが駆けつけて来た場合など その場で全員切腹の
手筈が整っていたそうです。 



もしそうなっていたとしたら 現代の国民的ドラマ『忠臣蔵』
の存在さえ なくなっていたことでしょうね。


もちろんその後の歌舞伎でも上演されず・・・
歌舞伎役者的には よくぞ 本懐を達成してくれたものです。(笑)


お話は いろは札に戻りますが 『仮名手本忠臣蔵』では 
「い」が大星由良之助 「ろ」が大星力弥  
「は」が原郷右衛門 となっております。


私は 今月は 「さ」の文字を背中に背負っておりますが、 
お芝居では よほどの事がない限り この い、ろ、は 以外は
各自で 自由に選んでよい事になっております。


が、浮世絵などでは 装束に いろは四十七文字が
それぞれあてはめられて 描かれているものもあるとのこと。


それぞれの義士に どの文字があたるのか、ちょっとこだわって
調べてみたのですが、ごめんなさい、力不足でした。
宿題にさせて下さい。


この「いろは”47”文字」と『仮名手本忠臣蔵』”47”義士の関わりは、
後世の創作の一つと云われております。

これで『仮名手本』(以前にも書きましたが・・)と、なる訳ですから 
うまく考えたものです。 

義士が47人じゃなければ どうしたのでしょうね・・・(笑)


また、その創作の中で、これはもう、あちらこちらで 云われつくして
有名な事ですが、「いろは文字」を7文字ずつで区切った時に、
末字を縦に読むと「とかなくてしす」=「咎(とが)なくて死す」となること。

これは、『仮名手本忠臣蔵』よりもずっとずっと前に「いろは歌」が
出来た時に何かの意図を持って 作られたのか、もしくは偶然か?

このあたりは 正直私は難しく、よくわかりませんが、
それを わざわざ『仮名手本忠臣蔵』に当てはめてきたのは 
本当に 作者の素晴らしいインスピレーション だと思います。




『仮名手本忠臣蔵』の細かいところにも「47」という数字は
もっと隠されております。


有名なところでは、「大序」の幕あきの「柝」の音は「47つ」

また、六段目の浄瑠璃本には「金」という文字が「47回」
使用さているそうです。


そして、浅野内匠頭の刃傷が 元禄14年(1701年)
その翌年、1702年に討ち入りが行われております。

そして人形浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』の初演が
寛延元年(1748年)の事です。



まさに「47年後」



と これは どこまでが 作者の意図したところで 
どこまでが偶然でしょうか?

今となっては わかりません

わかりませんが、初演から262年後の今も変わらず、
『仮名手本忠臣蔵』が人々に愛されている事は、事実だと思います。



今日は小道具「いろは札」から「47」に関わるお話でした。