先日、伏見稲荷に行きましたが、その後、京阪に乗り七条でおり、
東山七条でお昼ご飯を食べました。
(有名な某イタリアンのお店は 混んでおりましたので、
 近くの洋食屋さんで・・・)


その後、近くのある場所に・・・



佐藤継信・忠信の墓と云われるところがあると聞いておりましたので
見に行って参りました。


佐藤忠信と云いますと、先日の伏見稲荷が舞台になっております
「鳥居前」にも登場しております、狐忠信
(正式にいいますと、本物の佐藤忠信は「四の切」「蔵王堂」にしか登場しませんが・・・)

「吉野山」では 狐忠信による 戦物語で 兄の継信の死が語られます。



東山七条から東大路を少し北に行き、東に入った所。
入ってもいいの?と思うような路地を入ったところに、
この碑がございます。


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でも、どうしてこの地に 佐藤兄弟の墓と云われるものがあるのか?


継信は 屋島で死んだとされております。
(吉野山では 壇の浦とされておりますが、これは物語自体が
 創作ですので・・・)

忠信は 一応京都で死んだとされておりますが、
この東山の地ではございません。

なんでこんなところに こんな墓が???

その時は よくわからないままだったのですが。。。




帰宅後、調べましたら、ここには元々、佐藤兄弟の墓と云われる
「馬町十三重石塔」と云う物があったそうです。

これは現在、京都国立博物館内に展示されているとか。

はは。。。前を通っておりました。見ておりました。

が、知りませんでした(苦笑)

ちゃんと見ていればよかったです(反省)



しかし、その石塔が佐藤兄弟の墓と言われここにあったのは なぜか?
これは わかりませんでした。


おそらく、この 馬町十三重石塔自体も、本来の作られた経緯とは別に、
後世における伝説のようなものが色々と附け足されたり、作られたり。
そう云う事が 積み重なりまして、佐藤兄弟と、結びついたのでは
ないでしょうか???

となると、結局はっきりとした、謂れはないのかもしれません。




とは申しましても、こんなところで、佐藤兄弟。

伏見稲荷に行った直後でしたので、なおさら不思議に思いました。


来月、南座へのご観劇の皆様。
観劇の前後に 少し京都散策・・・のついでに
こういうところも いかがでしょうか?

ただし、かなりマニアックに「碑」しかございません・笑


が、歴史に興味のある方でしたら、ここから坂を上りましたところが、
義経や忠信とほぼ同時代(このころにはすでに亡くなってますが)、

歌舞伎の演目では『俊寛』『一条大蔵譯』などの台詞にも出てきます

「小松内府(こまつのないふ)」

平清盛の長男 平重盛


その重盛が住んでいたのが このあたりと言われております。
京都のガイドブックにも載ってないかもしれませんが(笑)


また、豊臣秀吉の墓であります「豊国廟」も徒歩数分です。

清水にも徒歩圏内です。
私もこの後、清水寺まで行こうと思いましたが・・・
紅葉まっただ中の 京都の祝日。

残念ながら すごい人で、参道が途中で渋滞で止まってしまう有様。

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途中で引き返して、三年坂もこんな感じ・・・

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いやはや・・・

京都の行楽シーズンは、マニアックなところで 終わらせておくのが
正解かなと・・・思ってしまいました(苦笑)