今月、松竹座の舞台に立たせて頂いておりますが、
この松竹座、松竹のホームページによりますと、

大正12年に日本初の洋式劇場として誕生し、
その後松竹楽劇部(後のOSK)と本拠地となり、
戦前戦後を通して、洋画や邦画の映画館として活用されておりました。

私ここで 中学 高校時代 スティーブ・マックィーンの主演の
『大脱走』や『ブリット』を見た思い出がございます。

平成6年には洋画封切り館としての歴史を終え、
平成9年の現在の松竹座として再出発を致しました。


今から13年前の事ですね。


こけら落とし公演は 平成9年の3月。


私が初めて松竹座の舞台に立ちましたのが 同じ年の9月~10月
スーパー歌舞伎「カグヤ」公演での事でした。


カグヤのおばあさんを 坂東吉弥さんの翁と やらせて頂きました。

この折 町を歩いていると あるおじさんが
「今度 松竹座で家具屋の話が 歌舞伎でやってるらしいね。
 家具屋筋の出来る頃のお話かね?」と 聞き 

カグヤでも だいぶ違うんですけど・・・ と 思わず云いたくなりました。(笑)

これ ネタではありませんよ!! ホントの話です。 


翌平成10年には同じく9月~10月に「ヤマトタケル」を
続く平成11年には 9月~10月に「新・三国志」の公演を致し、
秋の松竹座二ヵ月公演は この頃の恒例となっておりました。


たいてい、10月1日は 途中一回だけの休演日となり、
珍しい大阪の休日を満喫したりしておりました。



平成12年(2000年)には 6月に「新・三国志」再演
二ヵ月あけまして 9月には猿之助一門で初めての古典歌舞伎の公演
 現・坂田藤十郎さんを迎えての義経千本桜の通し。

(悲しいかな、この公演が現時点での猿之助旦那最後の忠信になってます)



また 5ヶ月後の 翌平成13年には 2月に
「車引」「黒塚」「一本刀土俵入」「瞽長屋梅加賀鳶」「浮世風呂」の公演と

9月~10月「新・三国志2」の公演。


なんと1年の3カ月を 大阪公演で大阪で生活しておりました。



平成14年は2月に 「南総里見八犬伝」「加賀見山再岩藤」


平成15年には 京都顔見世公演はございましたが、松竹座はありませんでした。


平成16年の3月「新・三国志3」は 旦那休演によります代役公演・・・

これも 松竹座乗り込み お稽古場での決定に 涙した事を覚えております。


平成17年5月に「ヤマトタケル」11月スーパー喜劇「たぬき御殿」


平成18年の正月は 初めて 松竹座での正月公演に出演させて
頂きました(一門での出演ではございませんでしたが・・・)

そして10月、「染模様恩愛御書」


平成19年の正月公演にも出させて頂きました。


平成20年の5月の「ヤマトタケル」公演。これは二代目猿三郎襲名の公演でした。


いやはや、1年全く松竹座の舞台に立たなかったのは わずか2年のみ。

本当に沢山の舞台に立たせて頂きました。

改めて 私が関西を離れ おもだか屋一門に入れて頂いたのが平成元年。22年前。

松竹座ができたのが13年前。

今から10年以上前・・・

現在でも思い出したように(笑)再放送されます
歌舞伎チャンネルの「芸に生きる」

この中で 10歳若かった 私が話しておりますが・・・

「もう少し早く松竹座が出来ていたら 私は大阪にいたかも」


確かにそうなのかもしれませんが、もう少し早く松竹座が出来ていても
今のような歌舞伎の隆盛があったとは限りません。


今ございます松竹座、今ございます上方歌舞伎の隆盛。

それを嬉しく思いつつ、毎日舞台に立っております。


なんだか今日は 振り返って羅列しただけのブログになりました。


個々の公演の思い出も 機会がございましたら 改めて・・・