現在 名古屋に滞在しているおもだか屋一門ですが、

今年は名古屋開府400年だそうです。


それまでは 清州が中心で 尾張などと呼ばれていた場所を 
今の場所に移し、名古屋府と改めたのは徳川家康だそうです。


このことは「清州越え」と言われたそうです。

今でいう「引越し」という意味があったみたいですね。



今年は開府400年祭が目白押し・・・


400年前はと云うと 1610年。 


名古屋城築城が1609年だそうですから、(清州越えは1610年)
秀吉亡き後の  豊臣方との関ヶ原の合戦(1600年)が終わり 

大坂冬の陣(1614年)大坂夏の陣(1615年)を見越して 

大坂方を見据える(睨む?)意味で築城されたのだそうです。

 

そして 家康から築城を仰せつかった、普請奉行は秀吉がわが子のように愛した

 加藤清正。


歴史とは皮肉なものですね。 


かって 小さな那古屋の町を 本格的な街へと 建設を始めたのは 
中村生まれの 太閤秀吉。 


名古屋の広小路通りから、JR名古屋駅を挟んで西は 
太閤通りと呼ばれております。


そして名古屋城の構想も秀吉が作っておりました。 


大坂夏の陣で 豊臣方が滅んだ後 徳川家を盤石にした翌年 
1616年に家康は 亡くなっております。
 



そして歌舞伎の発祥もちょうどこの時期 出雲の阿国の登場。 

そして相方 阿国が愛してやまなかった人物が 名古屋(名護屋)山三郎!!

まあ、なんという符合でしょうか。



ではでは~思いまして、歌舞伎と名古屋・・・

歌舞伎にも 名古屋の地は結構登場するかな?と ふと考えました時、 

江戸 京 上方に比べて 即座に浮かんでくるものが ありませんでした。




去年の「東海道中膝栗毛」でも名古屋の場面はございましたが、
やはり道中物の一場面。

正確には 宮の渡しから 桑名へ海路を行き 現在の名古屋中心地には 
寄らないのです。(本来の東海道は海路を行きます)


歌舞伎でおなじみの 信長 秀吉 家康との関連でも 

秀吉(日吉丸)と蜂須賀小六との出会いの矢作川の場面くらい。
(これは『小猿七之助』の夢の場面)




後は何があるでしょう? 


と 探しておりましたら 忘れてはいけない大事な場面を思い出しました。(笑)


400年前どころか 平城京遷都1300年より もっと前・・・・・



私がこの演目で「夫」も「妻」も演じました。(笑) 



スーパー歌舞伎『ヤマトタケル』の尾張の国造!!! 

大事な大事な場面が 名古屋の前身でした。(笑)

(娘のみやづ姫は 宮の津? だったのでしょうか?
 今、このブログを書いておりまして 急に思いました。
 先の「宮」のちは 今の熱田神宮あたりだそうです)





名古屋城の本丸御殿の復元も現在進行中で 全体が出来上がるのは

平成30年だそうですが、今年の10月には玄関部分復元の公開があるそうです。


残念ながら 今年の復元は見に行けないかも知れませんが 全部出来上がったら 
一度 見てみたいものです。 


毎年 来させて頂いております この名古屋。

何よりも 何よりも 私には 『ヤマトタケル』を通じて 縁深い地でございます。