今日は朝から冷たい雨が 降っておりました。 


雨がシトシト日曜日~ 僕は・・・・(笑) 唄ではありませんが

ちなみに この曲が分かった方は かなりの・・ファンですね(笑)





朝ご飯を食べた後 今日は性根を据えて あるテレビの録画を見ました。


4月の3日、10日 NHKで 前後篇で放送されました 『大仏開眼』

一挙 3時間ノンストップで見ました。 


すごく興味のある時代ですし 

ある意味 あまりドラマ化されていない時代背景ではないでしょうか?
私が知らないだけでしょうか?

大河ドラマあたりで やって欲しい気もいたしますが。




お話は天平時代 遣唐使として唐から帰国した
吉備真備(きびのまきび 吉岡秀隆)が主人公で

玄日玄(漢字が出ません。ボウは一字です。げんぼう 市川亀治郎)や 
藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ 高橋克典)にまつわり

なかなか面白く 描かれてありました。



クライマックスは東大寺の大仏建立と 
建立後の政権争いの中、
戦をできるだけ避けたい吉備真備VS野心の塊 藤原仲麻呂の戦いに
なってしまうのですが・・・・



この大仏建立時の帝が聖武天皇(しょうむてんのう) 
皇后が光明皇后 その娘が後の孝謙天皇である阿部内親王。

(開眼時には それぞれ 上皇・皇太后・天皇になっております)



そして東大寺の大仏と云えば・・・・ 

歌舞伎に関連致しまして 皆様 何かを思い出しませんでしょうか? 


ここまでで お分かりになった方はかなりの歌舞伎通です。(笑) 


実は この大仏が

「去んじ治承のころ 焼亡し畢ぬ(おわんぬ)・・・

 かの霊場を再建せんと諸国に勧進す。」  



ここまで書きましたら お分かりになられたでしょうか?





そうです!!! 

この大仏を再建するという名目で 義経一行を守るために 

安宅の関にて白紙(巻物を黒紙ですが 何も書かれていないと云う意味)の
勧進帳を 朗々と読み上げる弁慶。 


「勧進帳」です。


この勧進帳の冒頭の読み上げ部分 

「ここに、中頃の帝おわします。 御名を聖武皇帝と申し奉る。 

 ・・・・・・
 
 上求菩提(じょうぐぼだい)の為  盧遮那佛(るしゃなぶつ)を建立したもう。」 



と ありますように勧進帳のセリフの中でも、
聖武天皇は東大寺の大仏を建立する 勅命を発令したことで有名です。 


開眼が752年と云う事ですから、今から1250年以上も前に 
大がかりな作業であったことでしょう。 



それを 平家の平重衡(たいらのしげひら)が焼き壊してしまいます。


それが、先のセリフの『去んじ治承のころ!!』

大仏建立から400年以上たった1180年(治承4年)の事です。



そしてその後が 勧進帳の背景となる 南都東大寺の勧進のために、
にせ山伏に身を隠し・・・と なる訳です。

東大寺の焼失から10年と経っておりません。





勧進帳の読み上げの背景が あぁ この時代かあ~ と とても面白く見ました。



漠然となのですが・・・
現在、東大寺に行きますと 見る事が出来ます大仏様。

出来てから

400年で一度目の焼失にあい(その後も戦禍に遭っております)

その折の事が 更に600年以上たった江戸の世界で
物語の中で語られ。。。

そして 更に200年近くたった 現在でも 一年に何度も
様々な劇場で 上演され、毎回「弁慶のセリフ」として
多くの人に訴えかけております。




この時、大仏建立がなかったら 勧進帳の背景も変わっていたことでしょうね。
どんな「勧進帳」を 弁慶は読んだふりしていた事でしょうか。



ちなみに・・・

豆知識ではございませんが、この「勧進帳」

先ほどの「中ごろの帝~」のくだりでは 
私たち、四天王で出ておりましても 富樫の番卒で出ておりましても、
文中の天皇に敬意を表し、必ず 一礼を致しております。

これも、お気づきになられたでしょうか?

チョッとした事なのですが・・・


このドラマ 『大仏開眼』


それぞれの配役の役者さんも 熱がこもっており 
一気に3時間 とても短かったです。



ご覧になられた方、また 見逃してしまわれた方も 
再放送があれば お勧めいたします。