今月の新橋演舞場の演目 『寺子屋』『熊谷陣屋』は、
はからずも昼夜で首実検が行われております。

(先月の歌舞伎座 さよなら公演でも出ておりましたが・・)


共通することは 身代わりとされる首は 実検する本人の息子たち。

熊谷小次郎は十六(いざよう) 
松王丸の倅 小太郎はわずか寺入りの日の出来事。

そして討たれるふたりは 納得ずくであった。と云う 切ない思い・・・



現代ではおよそ 信じられないような有様、思想が 
つい戦前、戦中までは生きておりました。

お家のため お国のために わが子を犠牲にする・・・



今の方々は つい泣いてしまうといっても どこかお芝居の中の他人事。



でも戦時中などの父、母は 子供さんが戦地に赴いた方々も多くおられ
こう云った心中は 身をもって体験されたのではないでしょうか? 
 
  
すいません 話がまたまた それてしまいました。





今日のブログは 実検をする型について 少し触れさせていただきます。




昼の部の『寺小屋』 海老蔵さんの松王丸ですから もちろん成田屋型のやりかた。


春藤玄蕃が 首を持ち 松王が刀を抜いて源蔵につきつけての首実検。


他の方のやり方と 著しく違うやり方です。 




実はこのやり方 私が昔 父から聞いた話で恐縮ですが 逸話を聞きますと
ある日突然 生まれた演出だそうです。



私も子供のころでしたので 今は詳しく思い出せないのですが
(どこかで調べられると思うのですが 勉強不足ですいません)

江戸時代 何代目かの団十郎さんが 首実検の折 余りにも思い入れが長すぎて 
玄蕃役の役者さんが しびれを切らし 首を台から取り 
松王丸の前に突き出したそうです。


松王役の団十郎さん 気配に、ふと眼をあけると 前に首がない!! 

玄蕃にどこかに 持って行かれるかと思い 思わず刀を抜いたら
首が目の前に突き出された!! 

今度は抜いた刀の 持って行くところがない!!


仕方がないので武部源蔵の方に 刀を突き出して 
見込みの実検になった云う 裏話。


型と云うのは ま こう云ったもので ある日突然 やった事が伝統になったり
お家の手法となったり どんどん進化して云ったりと 様々です。




夜の部の『熊谷陣屋』でも 扮装やお化粧の全く違う 「芝翫型の熊谷」
と云うのもございます。 


この『熊谷陣屋』での相模も 以前 このブログでも書かせて頂きましたが、
私が若鮎の会で演じました時の相模は 首実検の小次郎の首を 
三段まで上ってまいり うち掛けで 夫、熊谷から直接受け取る 
先代中村梅玉さんが 演じておられたやり方を ならいました。  


今では もうその型で演じられる役者さんもおられませんが 
地方などに行くと 本当に地芝居などで 古い型が残っている所もございます。



できれば お家の型にかかわらず 海老蔵さんが、おもだか屋型の『義経千本桜』を
試験的に取り入れられたように いろんな方が いろんな型で 演じられるお芝居も
見てみたいものです。


猿之助旦那がよく云っておられました。 


「基本的な型を習い 何回も演じて 踏襲して それを破るから『型破り』なんだよ。

 何にも知らないで 自分流で無茶苦茶にやるのは 『型なし』だよ。」と・・・・