とうとう やってまいりました。今日のこの日。

歌舞伎座最後の日。


正面玄関や楽屋口は大変な人出!!  

パトカーやお巡りさんなどが出動して 歩道や車道の交通整理などに
あたっておられました。 

その合間を縫って 人の流れが途絶えた瞬間のカメラショット!!!(笑) 

イメージ 1


今日は 歌舞伎座 閉場式です。


イメージ 2





正午と四時の二回、本当に最後の公演が行われました。


松竹会長のご挨拶に始まり、
「都風流」として素踊りで幹部8人の方が出演され、
続いて5人の白拍子花子による「京鹿子娘道成寺」。

そして歌舞伎座閉場式に際しての 「口上」を
中村芝翫丈、坂田藤十郎丈、中村富十郎丈が述べられました。



その後、歌舞伎俳優、幹部、名題による 手締め式が行われました。



が、その舞台を作る幕間を利用して、緞帳にスクリーンを設置し、
九代目團十郎、五代目菊五郎による「紅葉狩」の記録映画にはじまり、
過去の方々の記録フィルムがダイジェストで
約30分にわたり紹介されました。



ちょうどその時 私たちは 裏にスタンバイの時間でございました。

下手に小さい小さいモニターがございまして、その様子を
幕の中からも垣間見ることができる状態になっておりました。


残念ながら私は「雛壇の上のほう」に位置しておりましたので、
早め早めの行動を余儀なくされましたが
(上から座っていかないことには あとからは 座れないのです)

最下手に近い位置でございましたので スタンバイした後も
皆様が その小さい小さいモニターの周りで食い入るように
画面をご覧になっておられる姿を 見ることができました。


さながら・・・昔々の街頭テレビのように。。。




この歌舞伎座が出来たころは、戦後間もない混乱期、
復興期を迎え、私はちょうどその頃に生まれました。

街頭テレビ、家庭テレビの普及、そして各自のテレビから
携帯ででも 見ることができるようになりました。


テレビだけには限らず、
日本の経済成長は 目を見張るものであったのでしょうね。
歌舞伎座は それをずっと 見てまいりました。



これから3年、どんな時代になっているのでしょうか。


世の中が3Dの時代になっても、「ナマ」の舞台であります
「歌舞伎」は いつまでも 生き残ると思います。


今日 芝翫丈は手締めの御挨拶の中で こうおっしゃっておられました。



「明治の初めにつくられたこの歌舞伎座は 様々な時代の流れを 
目の当たりに見 震災 戦災にも遭いながら 必ず復興をして 
いつもこの木挽町 この場所にございました。
そして今回 生まれ変わる歌舞伎座も この場所に 誕生いたします。
この後も皆様 どうぞ歌舞伎座 歌舞伎をお願い申し上げます。」


 
 と ・・・・



4代目となった歌舞伎座ですら 60年の歳月が流れ 
老朽化と云う 避けられない 状態となりましたが 
400年に渡る歌舞伎そのものは 常に時代の先駆けとなり
お芝居の原点でございます。  


再び 東京木挽町のこの地に「歌舞伎座」が戻ってくる日まで
私たちは 「歌舞伎の光」を絶やさず 輝かせ続けていきたいと
思っております。


舞台をご覧頂いている皆様も どうか「新生歌舞伎座」の
誕生の日まで どうぞ歌舞伎を見守って頂きたいと思います。


よろしくお願いいたします。