今月の『四谷怪談忠臣蔵』その物語のおおもと、
忠臣蔵の舞台となった時代は 
本来は元禄年間 徳川幕府の時代であります。

しかし 『仮名手本忠臣蔵』では 足利幕府時代となっております。


それは云うまでもなく 当時の御定法 
喧嘩両成敗を無視した幕府への批判を
直接の名前で 抗議できない民衆のパワーが 
お芝居となって反映したからでしょう。


ですからこれは 江戸時代ではなく 過去のお話 
場所も違いますよとの設定です。



ところが この架空のお話の方が お芝居としての空間、時間短縮の
大切な役割を果たしております。


時空を超えると同時に お芝居上の空間や時間も 捻じ曲げて
しまっているのでしょうか。

実に うまい方法です。。。??



と云いますのは 本来 浅野内匠頭(塩谷判官)が 
江戸城内で刃傷を起こした 後は すぐに他家へお預けのうえ 
その日のうちに切腹を申しつけられております。


ですから 赤穂の国家老 大石内蔵助へ仔細が届くのは 
早駕籠を乗り継いだと致しましても
早くて1.2日は経っておりましょう。 



この辺の所が『仮名手本忠臣蔵』ではかなり曖昧で  
どう云う訳か国家老であるはずの大石内蔵助(大星由良之助)は 
切腹場に到着致します。 


この四段目の切腹場は塩谷館になっており 
上使として 石堂右馬之丞と 薬師寺次郎左衛門が
登場いたします。



本来 事件を起こした人が上屋敷(自宅)へ帰されるのも 変な話で 
上屋敷へ返されるほどの時間があるなら 既に家老の大星由良之助は
屋敷にいなくてはならないのに 後から駆け込んでくるのも 
よくよく考えると まことにおかしな話です。 

大星さん どこにいたの??(笑)


もちろん 自国にいたら間に合う筈もありません


  
それでもうひとつ この場の矛盾点を・・・

四段目 判官切腹の場で 大星由良之助が判官の腹切り刀を
判官の手から取り 自分の懐へ入れ敵討ちを誓います。


これも本来は介錯人がいて 首を落とされる訳ですから
切腹の時に その場に大星がいられる訳がありません


所謂 ここのところが ま  芝居でさあ。(笑) 




皆様はこんなに曖昧な部分を まったく気になさらず 
お芝居をご覧になっている訳です。  


もっとも 現実的にリアル、リアルで進めてしまうと 
こんなに面白くないお芝居もありません


時間も時空も もしかしたら 次元さえ超えた
そういった気持で、お芝居をお楽しみください。(笑)




ところで今月の『四谷怪談忠臣蔵』では 
大星由良之助は切腹場におらず 私のお役 薬師寺次郎左衛門が 
判官の切腹の様子を伝えます。


その時に『仮名手本忠臣蔵』ではないのですが、
判官の腹切り刀 九寸五分を形見として
大星由良之助に渡します。 


この刀 切腹用の刀で 儀式の時には三宝に乗っております。

そしてこの刀を 九寸五分(くすんごぶ)と云います。 
所謂 一尺に足らない寸法ですね。 


ではでは・・・お芝居の中で 切腹と云えば・・・
「九寸五分(くすんごぶ)」のイメージがありますが、
この「九寸五分」といったい なんぞや??



ちょっと気になって 調べてみたのですが、
明確な答えに 辿りついたのか つかなかったのか??


刃渡り一尺以上になると 小太刀 脇差しになってしまって
万一 立会人に反抗しようと思ったら 攻撃力を持ってしまい
殺傷力が生じかねないようです。

そこで護身用の懐剣クラスの物を 柄を抜いて
半分 五分くらいの 刃を残して奉書で巻いて使用する・・・

という感じらしいのですが。

これは 今後の課題。
もう少し 調べてみます。


とはいえ、アカデミー賞の「おくりびと」
あの 所作が 外国の人にとっては 芸術的とも思われたそうですが、
現在の舞台上での 切腹の所作事も まさに流れるごとく・・・

水裃、三宝、奉書・・・


結局は 人の死につながっている事ではあるのですが
その中にも 様式美がございます。


歌舞伎の世界では 「うその世界」

決して、自決を称賛しておりわけではございません。
一応念の為・・・


今回は描かれておりませんが 切腹の所作にも
見られる機会がございましたら 一度 注目してみて下さい。




今日の写真は私の 薬師寺次郎左衛門と 

イメージ 1


その九寸五分です。 

イメージ 2


九寸五分には判官の血糊がついております。


リアルは追及しないと言いながら 妙にリアルな血糊です(笑)