「染模様恩愛御書」も 後 3日。
 
この公演、本当に名残惜しい お芝居です。
 
またこのメンバーで、どこかで再演できればいいなと思います。
 
 
今回、4年前に引き続いて 御一緒させて頂いております
旭堂南左衛門さんのホームページで 私の事が紹介されていると
コメントいただきました。
 
私も早速覗かせて頂きました。
 
なんとも こそばがゆい・・・(笑)
ありがたいお言葉、ありがとうございました。
はじゅかしい・・・(照)
 
 
この時期になりますと 一緒のお部屋の人々にも
各々 来月の台本が届きます。
 
こんぴらに行く人、歌舞伎座に行く人、演舞場に行く人・・・
 
ああ。。。また ばらばらに なってしまうんだなあと 
少しさびしい気持ちになってしまいますのも 事実です。
 
 
前回も 書かせて頂きました 上村吉弥さん。
来月は こんぴら歌舞伎に出演されます。
 
今度 一緒になれるのは いつのことでしょうか・・・
 
 
吉弥さんとのコンビで 一番の思い出と申しますと・・・
 
『仮名手本忠臣蔵』六段目の お軽勘平と
『野崎村』での お染久松です。
 
 
これは、今を去ること。。。20年以上前。
関西における 若鮎の会で 勉強させて頂きました演目です。
 
(前回書きました 『義経千本桜』すしやの お里は 
 関西の歌舞伎鑑賞教室での事です)
 
 
毎回 若鮎の会では13代目 仁左衛門大旦那の御指導のもと 
古い型や 珍しい型を 復活させて頂いておりましたので 
この 6段目も今では見る事のない型で 御指導を頂きました。
 
私の演じました勘平も 珍しい型でさせていただきました。
後にも先にも 私以外は した事が無いのではないでしょうか。
 
 
そして、お軽と勘平の別れのひと件り 
 
 
妻であるお軽 が 遊郭に売られていく・・・
それを 夫の勘平が 承知せざるをえないという 場面。
 
 
本来、よく上演されます型では 勘平をお軽は 
背中越しに 覗きこんで見ております。
 
 
若鮎の会では・・・関西の型とは聞いておりましたが どなたの型
なのでしょうか・・・
(またまた 不勉強で申し訳ありません。吉弥さんに聞いておきます・汗)
 
「お盆」を手に 近づいてまいりました お軽は
お盆を 鏡のようにして 勘平を鏡(お盆)越しに 写しこんで
くどきを 行う形でございました。
 
私勘平は 下を向いては居りますが 正面を向いており、
吉弥さんのお軽は 私に 背を向けると申しますか・・・
うまく表現できないのですが、客席のお客様から みますと
下手を向いた姿勢で 手にしたお盆に 私勘平を写してみておりました。
 
 
この型。
 
今年のお正月には この型、使われていたのでしょうか??
 
 
もし・・・もし、いつかどこかで 機会がございましたら
もう一度 上村吉弥さんと やってみたい、
そんなお芝居で ございます。
 
今日の写真は 1982年8月。
「若鮎の会」での お軽勘平の 一場面です。
 
イメージ 1
お軽が お盆を持った場面の写真も もらったはずなのですが・・・
 
引越し引越し 引越し・・・の中で 紛失してしまったみたいです。
 
心残りですね。
 
何よりも 大切な 宝物だったはずなのですが。
 
 
この1982年の若鮎の会。
 
数日前に書かせて頂きました 
愛之助さん(千代丸君) 若鮎の会 初参加の
「乗合船恵方万歳」と 二本立てでの 狂言でございました。