昨日のブログで お芝居の意識が 多いにも関わらず 博多では劇場が無く
博多座が 九州始めての常打ちの 劇場であることを 昨日書かせて頂きました。



江戸、大坂に比べて、同時期に もちろん 博多にも お芝居の礎はございました


先日 ゲストブック、また、今日 はからずも お手紙を頂戴した方も
触れられておりました。

私たちが ここに 来る 以前の 博多のお話・・・・・






博多と 芝居。


これは 本当に 土地に根差したものでございました。

私が 今も 親交のある 劇団の方々と 初めて あったのも
この 博多でございました。

私 個人的にも 博多での 思い入れは 多々ございますが・・・・



ここで 少し 時代的 歴史的な事を 一つご紹介致します、



博多座から ほんの数分。歩くと あっという間の距離です。


そこに ある碑がございます。

中洲の最北端 中島公園の ほとんど見落としてしまう場所。



博多座にいらっしゃる方の どれくらいの方が この碑を 
ご覧になった 事でしょうか。




芝居どころ 博多。


その原点と申して いいのでしょう・・・

この碑は 博多座ができる ずっと前から ひっそりと ここに ございました。



時は 江戸、文化文政の爛熟期の後・・・・



ある一人の 役者が この博多の地を 訪れました。


その名は 七代目 市川團十郎



詳しくは 申しません。
(興味のあります方は 御調べ下さい)


時代の流れ、奢侈禁制の時代の波に 飲まれた ひとりの役者が
ここ、博多の地を 訪れました。


そのことにより、 この博多、中洲が 文化の隆盛を極める ひとつの
きっかけとなったそうです。


その後 この時の事を題材にして書かれた演目が『博多小女郎浪枕』です。



私が19歳で初めて 大阪新歌舞伎座で 扇雀(現坂田藤十郎)のお手伝いに
上がった時 この演目が上演されており その時の毛剃九右衛門が 師猿之助でした。



博多座から 歩いて 本当に 数分の場所です。


七代目團十郎が ここで 興行を行ったことを 記念する碑がございます。



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十代目海老蔵さん、現在の團十郎さんの手による 蹟碑。


これは 今月 お芝居を御覧になる お客様には 是非一度
ご覧になって頂きたいと思います。