今年は 8月に入ってもそれほど暑い気がせず、
ニュースで取りざたされているように 冷夏になるのかと
少々心配しておりますが・・・



お稽古は 毎日 暑く熱く 続いております。
そして今日は 衣装、鬘をつけての 本格的なお稽古でした。



で ふと、暑い8月公演といえば・・・と思いましたので
自作の(笑)出演記録を紐解いてみました。




1975年(昭和50年)8月。

京都南座で「若手花形歌舞伎」が開催されておりました。
この時の「若手」とは はて(笑)どなたでしょうか?


13代目仁左衛門さんを上置きに、
片岡我當さん、秀太郎さん、孝夫さん(現仁左衛門さん)と
坂東玉三郎さんでの「若手公演」だったのです。

今から34年前のお話です。



暑い京都の公演で、京阪電車がまだ七条から三条までも地上を走っておりました。

現在では 鴨川のすぐ東を通っております 川端通りは、
その当時は 疎水と 京阪の線路でございました。
(あのような 大通りはございませんでした)


その公演で、私は玉三郎さんと初めて同じ舞台に立たせていただきました。
演目は「鳴神」で、玉三郎さんは 雲の絶間姫、私は所化の1人。


絶間が花道を下がってきて、入れ替わりに 所化が花道から舞台に出ます。

鳥屋口で毎日毎日 すれ違う形になるのですが、本当に毎日
思わず、うっとり見とれてしまっていたのを 思い出します。

玉三郎さんは その時の私を、きっと覚えていらっしゃらないでしょうね。



それまでにも 何度も舞台は見ておりましたが、
初めての共演(ごめんなさい!!!!笑)でしたので
私には 本当に 忘れられない 思い出でございます。



この8月公演、普段の公演と同じように 昼夜、別狂言なのですが、
さすがに 「京都の粋」

大文字送り火の日だけは、夜の部が休演となっておりました。



昼夜同一狂言ならいざ知らず、別狂言であるにも関わらず、
夜の部を 休演にすると云うのは ある意味 京都ならではだなと
思ったものです。


残念ながら、私が8月の南座花形歌舞伎公演に出演させていただきましたのは
後にも先にもこれ一回きりでございましたが、
この「夜の部休演」と云うのは、通例でした。


一体いつまで この風習が続いたのか・・・・
ブログを書きながら 気になってまいりました。
調べてみたくなりますね。


現在では8月の南座歌舞伎公演は ほぼなく、
普通の公演でも、昼夜同一狂言になっていることが多いですよね。


なんとも、素敵な 粋な 風習だったなと思います。



そんな 「粋」な
(さきほどから 書いておりますが「いき」ではなく「すい」と
 読んでくださいね・笑) 

江戸では これを(いき)と読み  京都では(すい)と使います。




大文字の送り火でしたが・・・

実は私、この大文字、見たことがございません。


夜の部が休演になったおりには これ幸いと 人出が増しつつある
京都から脱出して 大阪の自宅へと 帰っておりました(笑)


その後、翌々年の77年「水戸黄門」、同じく南座に出演しておりますが、
このときもみておりませんね。



一度 ゆっくりと 大文字も見てみたいものです。

暑い夏の 熱い京都の 思い出です。


そういえば 今月の 五右衛門も・・・暑い 熱い。。。
(今日はここまで!! 初日を お楽しみに!)