七月も今日で終わり いよいよ八月 暑い夏を と思いきや 何でしょう?
今日の涼しさは・・・・ 

先日 嵐 徳三郎さんの思い出を書きましたところ 
ゲストブックに 思いがけなく
今度は 坂東吉弥さんの事を と リクエストを頂きました。


坂東吉弥さんは 弥十郎さんの 年の離れたお兄様ですが 
そんな年の差などは微塵も感じられず、
私たちと 同じ目線で 親しみを持って 本当によく接して下さいました。


もちろん歌舞伎の出身の方なのですが 大川橋蔵さんの公演や その他
当時の様々な 私たちで云う所謂 「色物」と云うお芝居でも 
引っ張りだこの方でした。


大まかに申し上げて、役者には2種類ございます。


まず、座頭 スターと言われる役者。

それとは別に 座頭にはなれない 脇役と雖も 
あるときは座頭を食ってしまうような 
いぶし銀の演技を見せ そのくせ 座頭が芝居をしている時は、
邪魔にならないように 空気のようになってしまう役者。  


吉弥さんは 本当にこの典型的な 名人脇役でした。



吉弥さんが 常日頃 おっしゃっていた言葉がございます。

「俺は ナンバー1の 役者にはなれない。
 だから、ナンバー2の ナンバー1を目指している」





スーパー歌舞伎では 師猿之助の期待に応え 
近松座では鴈治郎(現・坂田藤十郎)さんの難しい上方物の脇を固め 
いろんな方から大変 重宝がられておられました。

旦那が 病で倒れる前に決まっていた 2003年12月の京都顔見世。


昼の部で 『一條大蔵譚』の「曲舞」と「御殿」の予定でした。

旦那の大蔵卿で 吉弥さんは八剣勘解由。 

そしてこの演目、年が明けての2月 地方巡業で 
私が八剣勘解由をやらせて頂くことが 決まっていたので
この月の公演 大変 楽しみに致しておりました。 


しかし 前の通り 猿之助旦那が休演となり、
大蔵卿の代役は片岡仁左衛門さんとなりました。 
さらに『御殿』のみの上演となり 『曲舞』の件はカットとなりました。


『御殿』のみでは ございましたが、吉弥さんの勘解由は素晴らしく 
本当にお手本とさせて頂きました。


翌年2月 『一條大蔵譚』の巡業が  
現時点での 猿之助旦那が舞台に立たれた最終公演となり、
私にとって とても 感慨深い巡業になっております。


そして同じ年、段治郎君が代役を勤めていた 4月『新・三国志3』の
新橋演舞場公演の折に 坂東吉弥さんの急逝を聞き 愕然と致しました。



坂東吉弥さん、思い出はとてもたくさんございまして
尽きることは ございません。
楽しい話、たくさんございます。


本日は とりあえず ここまで。。。


明日 また 続きを書かせていただいて よろしいでしょうか?