本日、7月歌舞伎座公演の顔寄せがございました。


毎年、7月の歌舞伎座と言えば、市川猿之助公演が恒例になっておりました。


私が始めてこの7月公演に 出演させていただきましたのは、
1977年(昭和52年)の事でございました。
その時は まだ 本名の「松岡延夫」の名前でした。

翌年の公演は、残念ながら別の舞台に出ておりましたが、
翌々年以降は、毎年、出演させていただきました。



その後、私自身は「松岡延夫」から「嵐延夫」、「市川延夫」と
変遷してまいりましたが、その時々の思い出の舞台は 語りつくせません


平成元年に 猿之助一門となり 平成10年に名題に昇進し、
披露をさせていただきましたのも、この、7月の歌舞伎座公演でございました。

『加賀見山再岩藤』 『義経千本桜』 『伊達の十役』 諸々 暑い最中に徹夜稽古で
初日の朝を迎えたのも今では 懐かしい思い出です。

 

残念ながら、その中で、猿之助旦那が病に倒れ、2003年の
「妹背山婦女庭訓~蝦夷館」、「桧垣」、「加賀鳶」、「四谷怪談忠臣蔵」
公演にて その7月の連続公演記録は 中断してしまいました。


私はその後、「市川猿三郎」を襲名させていただきまして、
昨年7月、この名前で初めて 7月歌舞伎座の舞台に立ちました。
また、これも感慨深いものがございました。



本日、坂東玉三郎さん、市川海老蔵さんを始め、役者一同打ちそろった中で
松竹の重役の方から こんな言葉がございました。


「さよなら公演も 半年を過ぎ、歌舞伎座ももう一年を切りました。
 暑い中でのこの時期の公演は もう来年はございません」

  と・・・


そうなんですね。

もう、この7月公演をこの歌舞伎座ですることは 今年が最後なのです。


これから作られる 新しい劇場が、少しでも 暑い夏にも
快適であれ!と云う 願いもございますが、
思い出しますのは、この暑い中での 様々な思い出です。


毎年毎年、暑い暑い楽屋で、一日中 本当に休む間もなく
忙しくしていた7月公演でございました。

いろいろな思い出が たくさん 詰まっている 7月公演でございます。



世の中に「~たら」「~れば」と云うことは 存在いたしませんが、
もし、いままだ、猿之助旦那が お元気で舞台に立っておられたとしたら
今月のさよなら公演の舞台は 一体どんな演目が 上演されていたことでしょう。

いってもせん無いこととは思いますが、
ついつい、そういうことを考えてしまいます。




とは申しましても、こうして 今年の7月歌舞伎座公演、
猿之助一門として、変わらず出演させていただき、
舞台に立つこと出来ていると云うことは、
本当に嬉しく思います。


最後の7月の楽屋。。。


本当に 満喫したいと思っておりますが・・・

残念ながら、いかんせん、今月は楽屋の滞在時間が短くなりそうで。。。

その中でも いろいろな事を 思い出しつつ、
思い出の楽屋を 同時に思いをはせながら、
可能なれば ここで ご紹介させていただきたいと思います。