今日は金田龍之介さんの告別式が、南越谷のご自宅近くで 営まれました。

昨夜は お通夜で 師・猿之助旦那も参列されたとか・・・


この場所はスーパー歌舞伎でのお稽古場 蒲生の桂スタジオのすぐ近所です。

金田さんは蒲生にお住まいでした。 スーパー歌舞伎でのお稽古はもちろん
御出演されていない時のお稽古でも しばしば陣中見舞いに来て下さいました。


蒲生の商店街でのお萩やアンパン 草加せんべいなど 
色んなものを差し入れて下さいました。 


私が初めて金田さんにお会いしたのは 猿之助旦那のお弟子になる はるか以前、
1971年(昭和46年) 私が19歳の時でした。


その年の10月 今はない梅田コマ劇場(現在の梅田コマ劇場は場所が違います。)で 
中村扇雀(現・坂田藤十郎)さんのコマ歌舞伎 それこそ『藤十郎の恋』を上演しており
私は父の冠十郎の手伝いをしながら 毎日ここへ通っておりました。


金田さんは、岡田茉莉子さん扮する女将お梶の亭主 宗清の主人を演じておられました。


それから再びお会いしたのは 1991年(平成3年)4月のスーパー歌舞伎『オグリ』
でした。   
金田さんのお役は照手姫の父 横山修里太夫。 そして私がその妻でした。


もう一役 青墓の女郎屋の主人 そして私が遊女 紅顔。

その後も 『八犬伝』や『西太后』 『新・三国志』シリーズ『ヤマトタケル』
そして『新・水滸伝』等々、 
いずれも お芝居の大先輩と競演させて頂いた事は 本当に光栄でした。


中でも 『新・三国志掘戮了頁話臙、私と猿四郎くんの 「子元」 と 「子尚」 

常に三人が一緒の舞台、
この舞台は私も個人的に とてもつらい事があった時でした。
猿四郎くんとともに 餃子屋さんや お食事などよく誘って頂き お話を聞けるのが
とても楽しく、嬉しかったです。 

急逝 本当に悔しく 残念でなりません

本来でしたら ご葬儀に飛んで行きたい気持でしたが、名古屋での公演の為
お別れする事ができませんでした。

金田先生 本当にお世話になりました。 ありがとうございました。


謹んでご冥福を お祈り申し上げます。