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早野勘平(萱野三平)、
原郷右衛門(原惣右衛門)、 
勝田新左衛門、
神崎与五郎、 
織部安兵衛(堀部安兵衛)、 
小野寺十内


さて、この6人に共通するモノと云うのは、なんでしょうか?


実は、この6人。私が今まで 様々な忠臣蔵の演目の中で
演じさせて頂いた 赤穂義士の面々なのです。


時は、元禄15年12月14日  
江戸の夜風を震わせて、響くは山鹿流儀の陣太鼓!!

ご存じ、本日は 赤穂浪士が吉良邸に討ち入り 
主君の仇、吉良上野介を討ち果たした日です。 


今日は雪とはならず、あいにくの雨となりましたが・・
最も本来は陰暦ですから 現在の1月が当時の12月に当たります。

私 歌舞伎に入ってから 昭和52年11月 中座 
通し狂言「仮名手本忠臣蔵」をはじめてといたしまして、
忠臣蔵のお芝居には 数多く出させて頂きましたが 
そのほとんどは 仕丁(じちょう)や仲間(ちゅうげん) その他と 
あまり義士側のお役をやったことがありません 


本役としてさせて頂いたのは ここに挙げた この6役だけです。
それも早野勘平は若鮎の会と云う勉強会としてでした。

そして お役のほとんどが巡業で そうしますと 歌舞伎座での
織部安兵衛 と 国立劇場での小野寺十内 のふた役だけです。

(実は一昨年いたしました、この小野寺十内、私にとっては
初めての老け役でした・・・スーパー歌舞伎「カグヤ」のばばは除く・・
とはいえ、小野寺十内、享年61歳。実年齢ではそれほどの差も
なくなってまいりました・・・複雑なり)

それはさておき、チャンスと云うのはなかなか ないものですね。

このふた役をさせて頂いた事を 記念して 昨年12月 
泉岳寺を初めて訪れました。 不思議に感じられますでしょう?
「初めて」なんて。


お役を何回もされている 幹部さんあたりは泉岳寺へは
何度も行かれていることでしょうが、
私 門前は何回も通ったことはございますが、
なかなか 中に入ってみようと云うチャンスがございませんでした。

このときに義士の墓前をすべて訪れ 堀部安兵衛さんや
小野寺十内さんに手を合わさせて貰いました。 

やはり神聖な場所で気持ちが洗われました。 

今後はお芝居に関する 色んなところを訪れてみたいと思います。