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再来年に歌舞伎座取り壊しのお話ばかりしておりましたが 
今朝テレビを見ておりましたら なんと新宿コマ劇場は 今年の大晦日の
『年忘れにっぽんの歌』を最後の舞台に 来年 取り壊しとか・・・


噂には聞いておりましたが 東宝関係の劇場のこと故 こんなに早急な事とは知りませんでした。 

今月は『愛と青春の宝塚』が上演されておりますね。


大阪のコマ劇場はすでに1992年9月の藤田まことさんの公演を最後に 
36年の歴史に幕を閉じ 新たに劇場飛天として 茶屋町の方に再建築されました。
 
(現在では やはり経営資本が二転三転され 飛天から 元の梅田コマ劇場 
 そして現在の梅田芸術劇場へと名前を変えております。)

元の梅田コマ劇場は 現在の角田町の三角地帯 
(現 阪急メンズ館 HEP NAVIO)一番奥 現 HEP FIVEの場所  
JR大阪駅のガードとの境にございました。 

ここらは梅田コマと共に梅田劇場 北野劇場 と云った劇場が並んで建っておりました。 
梅田コマ劇場は 私にとっては浅からぬご縁がございます。
でもその事はまた後日。 本日は新宿コマ劇場の事について・・・


私は残念ながら新宿コマ劇場には出演したことはございません
しかし私の父がよく出演致しておりました。
その関係で何回も見に行ったことがございます。


1960年代当時 榎本健一さんをはじめ 柳家金語楼さん 森川信さん 茶川一郎さん 
夢路いとし喜味こいしさん 由利徹さん等 

東西の喜劇人が集まり 喜劇人まつりなる公演を しょっちゅう上演致しておりました。
その公演には必ずと言っていいほど 父 嵐冠十郎が出演していたのです。 

なぜ父が? と云いますと 当時は大阪の東宝に所属しており 座長の森川信さんが 
必ずと言っていいほど劇中劇に歌舞伎を使われるのです。 

(森川先生はこれと並行して 『男はつらいよ』の寅さんの初代おいちゃんとしても活躍 されておりました)

新宿コマの喜劇公演の折には、私の父がかなりお気に入りだったらしく 
必ず歌舞伎指導として指名がかかりました。

そしてその歌舞伎指導と出演のために単身 よく上京致しておりました。 

今ではもうこの喜劇人まつりに出演された方々も少なくなり 
新宿コマ劇場52年の歴史も 今年で最後かと思いますと 
歌舞伎座の建て直し同様 感無量です。 


今日の写真は 昔の白黒写真 ピンボケですが・・・

鼠小僧を捕えるところを 父が歌舞伎仕立にして指導しました
「蘭平」や「小金吾」の立ち回りよろしくの一場面。
 

左下 白木みのるさん 中央 はしご上、森川信さん  上手 柳家金語楼さん   


下の写真 悪代官が腹を切りながらの述懐場面
 
中央 腹を切っているのが 父 冠十郎 (赤い布を血に見立てて)

下手から 森川信さん 佐山俊二さん ひとりおいて 由利徹さん
親分姿が 柳家金語楼さん 後ろが 白木みのるさん
そしてその横が 茶川一郎さん です。 

新宿コマの一時代を築かれた方々です。