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11月になると思いだすことがあります。


6年前の11月10日に日本を出発して 今頃はパリで1週間が経ち
やっと 落ち着いた処あたりだったでしょうか?

6年前 私は師・猿之助の代理として パリ・シャトレ劇場で
2002年12月13日に初日を迎える 猿之助演出のオペラ「コックドール」の
演出、代理助手として パリにおりました。

師・猿之助が初めてパリ・シャトレ劇場の要請を受け 
オペラ 「コックドール」の演出を手掛けたのは 
1984年(昭和59年) ヤマトタケル初演の2年前の事でした。


師が、それまでのパリでの学生やボローニァ大学等での歌舞伎講座の
実績が認められて シャトレ劇場からオファーがあったのが、
もう24年も前の事なんですね。 


その後 ナンシー、ニースでの二度の再演を得て2002年再び 
パリでの再演となった折 師は・猿之助は12月 歌舞伎座 
勘九郎(現勘三郎)さん 玉三郎さんとの「椿説弓張月」の公演のため 
日本を空けられない状態であり 私に白羽の矢が立ちました。


私 1996年のニース再再演の時にも演出助手として 坂東弥十郎さんと共に
やらせて頂いた事もありました。

もちろんその都度 オーケストラのマエストロも違えば 
ソリスト コーラス ダンサー みんな初対面の方たちばかりなので 
一からの歌舞伎演技指導 動き パフォーマンス 等 が違います。

そのニースの時は 初演で猿之助旦那の助手であった弥十郎さんが全面的に
引き受けられ 私は云われたとおりにしていればよかったのですが、
今度は 歌舞伎の役者としては私一人でした。

また、2002年版の演出の高島さんは オペラの演出をされた事は
ありましたが 歌舞伎的なことはご存じありません

舞踊的な事は右近さんの妹さん 左近さんが同行して下さいましたが
とにかく11月10日~12月14日まで約 5週間 パリにて私ひとり 
師・猿之助演出のオペラに携わっておりました。


その時出演のソリストは、ドイツ・ロシア・フランス・カナダ・アメリカ
中国系日本人もおりました。

国籍もばらばら、ましてや、教える私は、日本語しか離せない日本人!
通訳の通訳を また 通訳し・・・

ただでさえ、日本語のニュアンスは、伝わりにくい所が、
さらに、大変な作業になったものでした。


初日を見て 猿之助演出に損傷が無いことを見届けて 帰国したのですが
後日 この舞台が おもだか事務所も旦那も知らずに NHK・BS2で
放送されたのには驚きました。 
(もちろん パリ・シャトレ劇場のオペラです。)

そしてこれが 今度はDVDで市販されたのです。 
(もちろん これは後日の事で 師も事務所も了解済みのことでありましたが ここに私が演出助手として 名前を連ねさせて頂いたのです。
 このDVD 廃盤ではありませんのでお店に行けば一応入手可能です。)


思いがけずに 行かせて頂いたパリ!! 
初めの1週間は 訳が分からず ただ突っ走っただけ。

2週間目は 私のような日本人の事は云う事を聞いて頂けず 
粘り強く 劇場スタッフと 意思の疎通をはかることに必死でした。

3週間 4週間と経つに従い、 その頃になりようやく 
裏方さんや スタッフ ソリストの方たちと やっと 心が開き・・・

初日の幕が開いた時 感無量で 幕がしまって終わった時 
客席で全身の力が抜けて云ったのを 今でも 覚えております。 


旦那にビデオを見て頂き 

「初演で私が演出したよりも グッと 中身が濃くなり 
よくなっている お疲れさまだったね」

と 歌舞伎座で伺った時は 本当に涙が 溢れました。 

もう 6年も前のことですが この作品の中で 
魔法使い 王様 女王 ポルカーンなどを演じた ソリストたち 
もう一度会いたいなあ と 振り返る次第です。 

今日の写真は そのコックドールのDVDとそこに載る私の名前です。
(まだ 前名 市川延夫になっておりますが)

11月、年末が近くなると、毎年、パリの日々を思い出さずには
おられません。