11月の連休もいいお天気に恵まれ 行楽地も各地で賑わいを見せております。
新橋演舞場も例外ではなく 昨日今日と満員のお客様が来て下さっております。


初日と二日目 たった一日なのに この違いは役者の気持に雲泥の差があります。(笑)

もちろん お芝居に対して気を抜くとか と云う意味ではありません


初日、無事に終えたと云う事が役者の自信につながります。
 
ですから きょう以後 ご覧のお客様には ある程度 慣れた舞台をご覧頂けます。

(中には まだ役者の 足が地についていない 初日の舞台が楽しみだ と 
 言われるきつい 通のお客様もおられますが・・・・・汗。。 ・・・)

なにはともあれ 役者は とりあえず初日は終わった と云う 変な意気込みを
持っております。  (笑)


ここで昔話。 実は手前みそなお話でたいへん恐縮ですが ・・・・
そして かなり長くなりますが ご勘弁のほどを・・・・

私が今回、出演させて頂いている『伊勢音頭恋寝刃』。

昔の勉強会(若鮎の会)での思い出は 先に ここでも書かせて頂きました。


もうひとつ この伊勢音頭には思い出がございます。


1975年 6月 大阪中座にてこの演目が出ており 
実川延若さんが福岡貢を演じておられました。

お紺は中村扇雀(現 坂田藤十郎)さん 

そして料理人喜助は ・・・今もご活躍のある役者さん
(一応ここでは「喜助さん」としておきますね・・・)

私もその他大勢の役で 岩次や北六のお膳を配膳する油屋の若い衆でした。


このとき私と、お膳のもう一方を持って出ていたのが 当時 松竹芸能の新参者
現 大平サブロー君でした。

彼とのお付き合いは 以前でも何回かこのブログで紹介させて頂きましたが、
実に このときに彼と昵懇となりました。


そしてこの公演のある日、延若さん扮する福岡貢が芝居中 万座の前で辱めを受けて
いたたまれずに帰る時 預けた名刀 青井下坂を返してもらうために
料理人の喜助を呼びます。


喜助!喜助! 延若さんの声は響けど 袖にいる私が見渡したところ 上手にも下手にも喜助の姿が見えません 

これは!! と 若い者である私がとりあえず 「へいへい」と 出て行き
 
「どなたか?お呼びいたしますんで・・・」 と舞台に出ましたところ 延若さんが
私の顔を見て「? おお!! 喜助を呼べ!」と 言われました。

「ヘイ! 承知いたしました! 喜助どん 喜助どん」 と呼びながら 袖に引っ込み
廊下を走りながら呼びに行く途中で 中座の二階からちょうど 喜助さんが降りて来て 
舞台に走って来られるところでした。

わずかな間かも知れませんが その場をつないだ事に 故 延若さん 
お紺の 現 藤十郎さんからはお褒めの言葉を頂き 喜助さんからは 
「繋いでくれてありがとう。」的な いわゆる ご褒美を頂きました。


これを一緒に出ていたサブロー君が見ていて  すごく感心してくれました。  
 

彼とはこのあと若いうち 何回かは会いましたが 進む道も違い 
次第に音信は途絶えておりました。

そして後年 私が歌舞伎の大阪公演の時に ホテルでテレビを見ておりますと 
漫才界で功をなしたサブロー君が司会の番組に なんとゲストはあの時の喜助さん!!

番組が進む中 当時の中座の様子を話題にして サブロー君が
まさにこの時の話をしておりました。

喜助さんは照れ臭そうにサブロー君との対話をすすめ その時の事を「覚えております。」と 
おっしゃっておられました。

私は食い入るように画面を見ていると その後に 私の名前も出てきて 
思わずテレビに向かって歓声をあげたのを覚えております。

そして何年か後 たぬき御殿で御一緒させて頂いたある方に仲立ちをお願いして 
彼と もう一度 連絡をとらせて頂けるようお願いをして 現在に至っておりますのは
このブログでも 何度か書かせて頂きました。
 

再会した時にサブロー君に その時のテレビの放映をリアルタイムで見ていた旨を話し 
私の事をよく覚えていてくれた喜びを 伝えました。 

何万人 何十万人が見るテレビ! その一瞬は 私の為だけにテレビが世界が
動いているように見えた奇跡でした。

今年 市川猿三郎襲名の折でも 彼とご家族にスーパー歌舞伎を見てもらい
深かりし彼との縁を 振り返らざるを得ません

若い時には何事でもない 一つの出来事が 時代を経ると 人とのかかわりが
こんなに感慨深いものになるのか と云う思い出です。


長文になってしまいましたが この 『伊勢音頭』は本当に思い出深い作品です。