昨夜 藤間のお稽古が終わり 帰宅したのは 今朝、午前2時を回っていました。

そりゃそうですよね 現在、歌舞伎座は公演中 その後での舞台稽古ですから・・

そして 40番ある舞踊のお稽古を 歌舞伎座終演後の、深夜に行われる訳です。

ですから もちろん全部の演目の舞台稽古ができる訳がありません


所作舞台を作っている最中 歌舞伎座の舞台に立ったことのない方々は、2,3組まとめて舞台に立ち それぞれが居所合わせ。 

立ち回りや 多人数で出演の作品のお稽古が必然的に 優先されます。


でも 出し物とされているお師匠さん お弟子さんたちは どうしても一度は
舞台で 本番通りにお稽古したいと思うのは 当たり前の事です。


昨夜は長唄さん関連のお稽古で 猿之助一門の猿紫さんの演目の『奴道成寺』の舞台稽古

その他にも 連獅子 俄獅子 女伊達 等々

(彼はお芝居でうちの一門に入る以前から 藤間紫十郎と云う れっきとした藤間流の名取さんです。)


さすがにこれは 師・猿之助も気になっていたらしく 舞台稽古を見に来られました。

師が最も得意とした 毬唄から 恋の手習い 三つ面の踊り 歌舞伎座の舞台で 
なんと堂々と こなしておりました。

が・・もちろん 旦那と比較しては猿紫君に申し訳ありませんが 
私はどうしても旦那の 舞台が目に焼き付いており もう一度 旦那の踊りが
見てみたい・・・と かなわぬ夢を描いてしまいました。


私もこの踊り 何回、 立ち回りや所化の踊りで 出させて頂いたことでしょう。 

常磐津の勘寿太夫さんの声と共に 旦那の踊りが本当にオーバーラップして参りました。


これから猿紫くん どんどん旦那の踊りを踏襲して行って貰いたいと思います。



実は私もこの『奴道成寺』 何回かリーガロイアルの歌舞伎講座などで 
毬歌から三つ面の恋の手習いの件は 踊らせて頂いた事がございます。

もっても 私の場合は 長唄 常磐津はテープで お化粧も後見もなしで 
ひとりで裏を向いて 三つ面を掛け替えておりました。

弟弟子とはいえ 歌舞伎座でこの演目を 山台、地方さん 出囃しで歌舞伎座の舞台で
披露できることは 素晴らしいなあ と思う反面 うらやましいなあと思いました。
 
(もちろん彼の努力の 賜ですから 外見から一概に羨ましく思うのは憚れますが・・)

 
今でこそ、他の御一門も 舞踊会や お芝居に 大役を抜擢して 若手たちに希望を
与えておられるような やり方は 珍しく無くなって参りました。

しかし、その先駆を切られたのはやはり わが師匠、市川猿之助であったと思います。

当時は 家柄や 古い仕来たりなどを打ち壊す 歌舞伎界の孤児 異端児! などと
そう呼ばれていたのは もう40年ほども昔の事でしょうか? 


旦那は常日頃 古い歌舞伎の体制に こう云われておりました。  この制度の改革を
 
「誰かがやらなきゃならない でも それが私であったとしても 私がやったと云う必要はない 
なぜなら いずれは誰もがやった事を 先にやっただけだから・・・

でも 私が先にやりたかった。 それは私自身が知っていれば良い。」と 

私は この言葉に すごい感銘を受けたのは事実です。 

何年かのちに 今 その若手たちが もう 若手でなくなって 半月ひと月の公演を
任されております。 そして今 さらにその後を 次の若手が追いかけて来ております。

種を植え 芽が出て育て その実が成ったころに 新たなる芽が土から顔を出す。

何でもないこの作業 過程が 本当に大変なことなんだと 段々、分かってまいった 
一番 昔の若手の私です。(笑)


彼らを頼もしいと思う反面 うかうかしておられません・・・・
でも (なんか微笑んでしまう私です。)