こんばんは やっと体調も回復して ブログも元の話題に戻れそうです。

ご心配をおかけしました。 でも 回復した割には 今夜のブログは面白くないなあ 
と 思われましたら どう致しましょう? 体調のせいにして於いて下さい。(笑)


先日も申し上げましたとおり ヤマトタケル 初代 帝は三代目実川延若さん 

古風な顔立ち 時代的な風格 どう見ても一昔前の歌舞伎俳優さんと云うイメージがありました。が
今の方たちからすれば もうふた昔 み昔以上の歌舞伎俳優さんのイメージでしょうね。


今の帝の台詞は 初演から比べるとかなり大胆にカットもされ 当時は現代語であったつもりの台詞も
今、現在の言葉に変えられております。

例えば序幕 初演の折は、朝餉の席にいない 大碓の命の所在を確かめるために 小碓に
「昨日の朝は どこにいたか? 柚木が岳に行きはせまいの?」と問い詰める台詞がありました。

何日か後に 帝が柚木が岳に狩に出かける予定があり 大碓は帝暗殺のために
その下調べに行ったところを 目撃されてしまうのです。 


小碓は「私は昨日の朝はこの朝餉の席に居りました。どうして柚木が岳などに参れましょう。」
と否定します。 そこで柚木が岳にいたのは 病気療養中であるはずの大碓であることが判明して 
小碓に明日の朝は 兄を朝餉の席に連れてくるように 説得させに行くのです。


そこで延若さん ご年配になられていたこともあり 台詞の覚えもかなり 厳しくなっておられました。

偽橘の姉妹に対し「この二人から橘の香りがするか? わしの耳(みみ)は利き鼻(はな)で
匂いはすぐにわかるが・・・」と  耳で 香りを利き分けるのかと思えば 

「オウスは昨日の朝はこの席に居た!と、すると 昨日の朝 柚木が岳に居たのは オウスと云うことになる! オウスよ 兄のオウスに 明日は必ずこの席に出てくるよう 言い渡して参れ!」などと 

ある日は 大碓と小碓が ごっちゃになり どっちがどっちかわからない状態でした。

見かねた延若さんのお弟子さんが 「旦那、お・お・う・す  と  お・う・す  です!」

と 申し上げたところ 延若さんは大阪弁で一言 「 云うてまんがな!」 と自信たっぷりでした。

いいか悪いかは別として あの風格と顔立ちで台詞をおっしゃると 
芝居のオーラに言葉の矛盾が 消されてしまい 見ているお客様は 納得してしまうのです。

それでお客様ご自身の頭の中で 矛盾を変換して名前などを 元の人物に置き換えてしまうのでしょうね

でも毎日 聞いている私たちは 時々 ドキッとすることがございます。

2幕の頭(1場と云う意味) 小碓に東に行けと云うところ 
「 西の蝦夷を滅ぼしたのだから 東の蝦夷など ハエをひねり潰すようなものであろう。」

西は熊襲! 東は蝦夷! でも延若さんがおっしゃると 納得してしまい 
お客様は誰も違和感を お持ちにはなりませんでした。

もちろん何回も御覧になられたお方は お分かりになられたでしょうが・・・

今では あっ 今 台詞、間違えた 云われるようなことが その存在感の大きさゆえ
納得してしまう! 

そんな役者さんの何と 少なくなってきた事でしょうか。

今回 新橋演舞場の折 私扮する尾張の国造が 段治郎君扮する 命(みこと)様に間違えて 
「帝(みかど)様」 と 云ってしまったら 周りの役者が凍りつき 客席からも失笑が起きました。

慌てて 「いや! 命(みこと)様  失礼 致しました。」と頭を下げましたところ
客席は 大笑いとなってしまいました。
尾張の国造でしたから まだ救われましたが 延若さんには遠く 及びませんね(笑)


タイトルの歌舞伎は喜劇の意味とは 少し違ったかもしれませんが 
他の方が、この間違いを起こしたら 必ずや喜劇になることでしょう。

本日のブログはこれまでです。(笑)