道頓堀五座 それは 中座の他 道頓堀文楽座(後の朝日座) 角座 松竹座 浪花座
(もっと昔 江戸時代などからの名前は 竹本座や・・・ それはまた 後日  笑 )



私の中座初出演は、昨日のブログでもお知らせしましたが    

その後も何回か と云うより 何回も出させていただきました。


ロビーも廊下と云う感じで お客様が休憩する場所はほとんどありません
(そのために芝居茶屋が 道頓堀に並んでいて 幕間は出入り自由でした。)
 
上まで 満員になっても やっと800人くらい


こじんまりした劇場の花道は 間口が狭いため 割と舞台寄りに作られており 
花道から 舞台に入ってからの 上手屋台は 歌舞伎のお芝居には かなり窮屈な造りでした。

その割りには 客席の上手下手には 儀星欄干の桟敷席が並び 優雅な雰囲気の客席でした。       

この中座の 1975年 6月 上方歌舞伎 1977年 11月 東西同時公演の 仮名手本忠臣蔵
(この二つの公演は 私にとって歌舞伎の かなりのインパクトを与えました。)


そして 猿之助歌舞伎  延夫であった私 猿三郎になった今 懐かしい思い出です。


中座は江戸時代の面影を残していた 本当に古風な劇場でした。

奈落は 舞台真下 盆の芯を通らないと花道へは行けず 
そこには回り舞台を あきらかに手で押してまわした下がり棒  
盆の中の小さなセリは 手で廻しながら上げる クランクが付いていました。


下はいつも 川の水が浸み込んで来るジメジメしたコンクリ 

どこから来るのかわからない 野良猫が7~8匹 
(この猫 歌舞伎の芝居の最中 どこに居るのか邪魔をしないんですよね。)

でも松竹新喜劇の時には 何回か 舞台に登場したそうです。(秘話) 



楽屋口から入って そのまま行くと 舞台! 楽屋より一番近いところが舞台です。

楽屋口 左階段を上がって座頭部屋 看板楽屋  そして更に階段を上がって名題楽屋 三階大楽屋

東西同時競演の忠臣蔵の時には その大部屋に40人

もちろん私 大部屋役者ですから大部屋です でも中座の大部屋 本当は10人も入ったら満杯です。

でも みんな 東京の歌舞伎座の忠臣蔵に負けるなとの 意気込みで 狭くても 誰も文句を云わず 

長烏帽子 長袴代紋(大序の大名の扮装です)裃 侍40人(四段目) 討ち入り 義志装束(大詰め)

高家侍など 通勤電車ラッシュアワーの中での衣装替え  等々 



こんな事もあったと 今の若い人たちに云っても もうそれは理解してもらえません

江戸時代 先の時代の中座のお芝居の先達のあり方が 今の私に 理解できないように・・・


江戸時代からの名優 明治 大正 昭和 平成

上方歌舞伎界の重鎮 猿之助旦那 あらゆる役者が踏んだ中座の舞台 
 

そこに立てることが 役者の喜び!!    であった時代 

これからの人々も この気持ちを 少しでも持って  今の舞台を踏んで貰いたいと思います。