昨日は   ん? 今朝 早くですか・・・? (笑)

松竹座のお話でしたので 今日は 中の芝居 中座のお話を少し 



私が中座に、初めて出させて頂いたのは 1965年 中学校1年生の時でしたでしょうか?


歌舞伎ではなく 芦屋雁之助さん 小雁さん 雁平さんの喜劇座公演に

茶川一郎さん 古今亭志ん朝さん 谷勘一さん 花園ひろみさん


といった多彩の顔ぶれで 演目も 夏目漱石原作の 坊ちゃん  他

坊ちゃん(志ん朝さん)赤シャツ(茶川さん)校長たぬき(雁之助さん)

うらなり(小雁さん)山嵐(谷さん)マドンナ(花園さん) といったピッタリ! の配役で

出演しながら 合間にお芝居を見て 楽しんでおりました。



また夜の部は 弥次喜多道中で 茶川さん(弥次郎兵衛) 雁之助さん(喜多八)の 

配役で これまた爆笑喜劇でした。



今の 吉本の若手芸人さんたちと違って 猿之助旦那 曰く 間は魔に通ず の「間」を 

よく心得た喜劇の方々 本当に絶妙の 息 掛け合い 笑いの 間でした。


(尾張の国造に 少しでもそれが 活かされていられれば と・・・・・・・ 小さく思います。)



その後 上方歌舞伎や 猿之助歌舞伎 などで 何回か中座に出演させて頂き 

最後に中座の舞台に立ったのは 1998年 猿之助旦那の中座 歌舞伎ワークショップ!!


一門と共に 生徒さんたちと一緒に 勉強や 模範演技 立ち回り等 楽しみました。


1999年に閉館となり 2002年 9月9日 解体作業中の爆発 炎上の事故!!



あたかもその日 東京 帝国劇場で新派の名作 残菊物語を上演いたしており 

右近さん(尾上菊之助)十朱幸代さん(お徳)杉浦直樹さん(五代目菊五郎)

藤間紫先生(宿屋の女主人)

中座の楽屋へ 紫先生扮する 女主人が菊五郎と直談判! 

お徳を迎えに行くさなか その前に 一生懸命 中座で鏡獅子を演じている 菊之助でした。



中座 爆発炎上のニュースを聞き 350年の歴史の中座 松竹新喜劇の藤山寛美さんを始め 

いろいろな方の思いを残す劇場  劇は激しく!! 

劇場にもやはり命はあったんだと 感動した思いがあります。

(もっとも事故は事故として 重く受け止めなければなりませんが・・・)



今の道頓堀の中座あとは 食堂レストランみたいな建物に変わっておりますが・・・
 

都はるみさんの 浪速恋しぐれ の歌にもあるように 「いつか中座の花となる」の如く
  

そこは私たち 歌舞伎役者にとっては 本当に聖地とも言うべき 所でした。 



亡くなられた方には 心よりお悔やみを申し上げます。(合掌)