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今日も3時からと云う ゆっくりした時間で2幕3幕のお稽古が開始されました。


ゆっくりはありがたいのですが 午前中でも 10時半を回ると どうもホテルの中で うずうずして
ゆっくりして居られないのは 悲しいかな 役者の習性です。(笑・・・泣・・・)


私が大阪育ちなのは、何度かお知らせしましたが 生まれたのは現在の住之江区

その後は松竹座からも近い 宗右衛門町から少し入って堺筋を渡った
大和町に 3つぐらいから居りました。

そして 小学校2年生の時に黒門市場に近い 高津町という所に引越し 
20年以上、父と住んでおりました。


それを入れますと 30年以上は大阪で暮らしたことになります。


私の通った幼稚園は 大宝幼稚園(今は幼稚園はなく南小学校となっております)
私の通った小学校は 道仁小学校(現在は小学校はなく 島之内資料館?)
 

今日 11時頃にホテルを出てそのあたりに 行ってみました。


そしたら 私の住んでいたところ高津町の 古い住宅が並んでいた路地の家は跡形もなく
路地そのものが封鎖され そこには大きなマンションが 威張ったように建築されておりました。


その周りは まだ少し 面影の残っているところも 垣間見られますが
ほとんどが変貌してしまい 20年以上前に大阪を出た 私
その時代を知るものには 本当に淋しい限りです。


そういった意味で 道頓堀五座のひとつであった 朝日座 浪花座 角座 中座もなくなり 
松竹座を残すのみとなりました。
私もよく通った 東映パラスも今回閉館 その近辺も本当に様変わりを致しました。


そして ここでまたひとつ 道頓堀の名物 くいだおれが7月で閉店になるとか 


もう私の子供の頃に知る 道頓堀ではなくなって来たようですね。 

今日の写真は その名物 くいだおれ人形です。 


なんか 皆が写真を撮っている姿に 人形の方が 「ありがとう でも道頓堀をこれからもよろしくね」と 
訴えかけている様に見え 寂しさの感情を感じたのは私だけでしょうか?


G・Wで あふれる人間 道頓堀 そこの五座の最後のひとつ 
松竹座で 人間同士が熱くなれる ヤマトタケル
 

私が子供の頃に住んだ 大和町 高津町は あきらかに大和民族 

その時代の人たちの頃の町の名前だと 感じ得ずにはいられません


ヤマトタケルは過去 この地に足跡を残したのですね。 そう 思いたいです。