一昨日 名題と云うことに触れさせて頂いたので 
今日は、その名題に上がる為の 名題試験の事を書かせていただきます。


皆様、歌舞伎はよく御覧になられても 歌舞伎界の中の制度のことは 
あまり知り得る機会はないかと存じます。


先日、書かせていただいた 三階と呼ばれる 所謂、大部屋役者から 名題になりたいと思いましても
最低 歌舞伎の舞台 また 師匠について弟子になってから 10年を経過していない人は 
名題試験を受けることは出来ません



また10年を経過していても 師匠か、俳優協会の理事の方(所謂 大名題の方々)
の推薦状がないと 試験は受けられないのです。



試験は通常 8人から10人以上の理事の方々がそろわれる時
また受験する人たちの人数と 興行に支障のない日を選ばれるために 2年か3年おきに行なわれます。


どう云う事をするかと申しますと 私が受験させて頂いたときは 
歌舞伎に関する基礎知識の筆記試験 そして自分の考え方 今後 どう云う姿勢で臨むか・・等
普通の学校のような筆記試験がありまして 

その後 大幹部さんの前で 与えられた演目を一人づつ 演技すると云う 実技があります。


私、初めて 名題試験を受けささせて頂いたのは25年前になります。

 
その折は 関西の所属でしたもので 13代目 片岡仁左衛門丈の推薦状で 
受けさせて頂きました。

その時の実技 試験官は

中村歌右衛門丈(当時、俳優協会会長) 先代、中村勘三郎丈  尾上梅幸丈  先々代、尾上松録丈

市村羽左衛門丈 先代、松本幸四郎丈  中村鴈治郎丈  中村芝翫丈 

そして 監査役として 13代目、片岡仁左衛門丈  中村富十郎丈と 錚々たる顔ぶれでした。


この中で緊張しない方が おかしいくらいで 見ん事 ガチガチになり
試験官 8票のうち7票頂ければ 合格でしたが 私 6票だった為 結果は不合格でした。


そういった面では 私 かなり不器用な為に その後も何回か 不合格になり 
平成10年 師 猿之助丈の推薦で 名題試験を受けさせて頂き なんとか合格させて頂きました。


このときには先の方々の数名は もう居られない方が多かったのですが それでも
猿之助旦那を始め 尾上菊五郎丈 市川団十郎丈 現片岡仁左衛門丈 中村芝翫丈 他 
やはりそう錚々たる方々が10数人 並んで居られました。



もちろん 今までの名題試験の中で 一発で試験に合格され すぐに名題披露をされる方も 
多くいらっしゃいました。 私は 数回 受けさせて頂き 数回不合格ではありました。 が

今、振り返りますと 悔しい思いをしながら 後輩に追い抜かれ 
それでも喰らい付いて行こうと 思った自分がいるから 
今、ここ博多座で  ヤイレポなり 尾張の国造をさせて頂けるんだと思います。


今の若い方々に 申し上げたい・・・
 
足踏みは 歩みを止めることにあらず その場にいるようで
その場で 常に次の為に前進しているのだと 次の一歩は 大きいものになります。


負けたと思うときは 我慢ではなく 力を蓄えている時だと思うのも必要です。

すぐの結果を求めず 前進して頂きたいと思います。


なんか 長々とえらそうな事を書いてしました。 お酒の力が混ざっていたら お許しください。

今 私どもの一座は若手が伸びてきております さらに私も若手に 負けないようにしなくては・・・・