今日は 私の雑談にお付き合いください。 

「ヤマトタケル」 スーパー歌舞伎のタイトルですが カタカナで書かれております。

日本武尊 倭健 大和猛 この漢字のすべてが ヤマトタケルと読まれます。
(いろんな書きかたがありますね・・・)

大和朝廷の大和はダイワと書きますが なぜ? やまと と呼ばれるようになったのでしょうか?

中国から日本を見た 魏志倭人伝の倭 これが日本に渡り 倭と云う文字を使うようになった・・・ 

本来の倭(やまと)は ワ 和を重んずる国 そして 大いなる和 と云う意味で 大和(やまと)

この地方には 泉(いずみ) に 和をつけて 和泉(いずみ)
など 和を尊ぶと云う意味の土地が多く残っております。

大和は大きくは日本国の意味 大倭

そして現在の奈良県 大和朝廷を指す 大和地方

またヤマトタケルにおけるヤマト民族が移動(もしくは侵略)したといわれる各地に残る大和市(関東)

大和町(新潟県魚沼市 茨城県桜川市 佐賀県 島根県 また 東京 大阪などにその地名があります)

そして大和村(山梨県 鹿児島県等)いまだにこんなに多くの同じ名前が町村として存在するのは 
いかに 大昔とは言え どれだけ大和朝廷の力 大和民族が関わっていたか ・・・・

(私も大和民族なのかな・・・?)  (国津神かな????)

もっともヤマトタケルの称号は、いち個人を指すのではなく その作業に携わってきた人々の
総称であると云うことは 今の歴史上では 定説となり、皆様ご存知のことか思います。 

古事記にも日本書紀にもヤマトタケルと云う人物は登場しないそうです。

しかし 日本の大部分を平定したのが 一人のヒーローだったとしたのは
後の人々の憧れからなのでありましょう。 

この やまと という名は 戦時中は 戦艦「大和」
現在では 地球の定めを変えてくれる 「宇宙戦艦ヤマト」にあらわれています。

「やまと」というものに込められた 思いは 昔も今も 変わらないのかも知れません