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毎日 私が通うこの劇場。新橋演舞場と申します。

地方の方にはお馴染みが薄いかと存じますが、現代的なところは本来、
○○劇場と云う名がつきます。
また歌舞伎座や 大阪松竹座 京都南座などは 「座」とつきますが、
ここだけは 演舞場と云う名前です。 

なぜここだけが 座でもなく 劇場でもないのでしょう?
皆様 ご存知でしょうか?
(もちろん ご存知の方は多く いらっしゃると思いますが)

京都には、祇園や宮川町などに 歌舞練場と名のつく 小屋が残っております。
ここ新橋演舞場も意味合いは同じで、もともとは新橋の芸者さんや 粋筋さんが使われる 
発表会の小屋のお名前なのです。

春や秋に ○○○おどりや ゆかた会 それぞれの催しなど・・・

ですから つい昔までは こういった小屋が各所にございました。


今の演舞場は3代目です。 
大正14年に初めて建てられたのが この新橋演舞場の前身でした。

その後 東京大空襲で全焼して 戦後、前の演舞場が建てられ
1982年に現在の3代目 新橋演舞場として、リニューアルされました。

私、帝国劇場の杮落としや 大阪中座 昔の京都南座などの古い小屋には
何回となく出演させて頂きましたが 昔の新橋演舞場にはご縁がなく 
出演させて頂いたことがございません

1982年の再杮落としで 師、猿之助の加賀見山再岩藤で出演させて頂いたのが、
初めてございました。

その折には まだ時々でもございましたが 粋なお姉さまや芸者さんたちが 
夕方などに この界隈を歩かれる姿も まれに見受けられましたが 
現在では ほとんどと言っていいほど 日常的には拝見しなくなりました。

その昔は今の高速道路が、川だったこともあり 
頻繁に船乗り込みなども行なわれていたそうです。 

お芝居小屋と粋筋なお姉さん 芸者さん ご贔屓さん 
これは切っても切れない 界隈の雰囲気を醸し出していたものですが 
最近はそのような風景がみられず、淋しいですね。 

演舞場自体も 正面玄関は新橋を向いており(当たり前ですね)
私たち出演者も 銀座方面から劇場に参りますと 正面入り口に行くよりも先に
楽屋口へと入ってしまうので 逆に演舞場正面を見ることは 
自家用車で駐車場へ行かれる方ぐらいでないでしょうか。 

今日は改めて 正面のほうへ回ってみました。

前の演舞場に比べて 芝居小屋の雰囲気が失われ、近代劇場と云う感がします。 
中の設備は最近代化されておりますが 私から見ると やはり淋しいものを感じます。

一月はここで市川海老蔵さん主演の「雷神不動北山桜」に出演しておりました。
また、現在は「ヤマトタケル」を上演しております。
私にとって、毎年春はこの劇場に出させていただくことが恒例になっております。

皆様も新橋演舞場にお越しの際は、また、歴史を振り返ってくださいますと
幸いでございます。