3月、新橋演舞場でのヤマトタケルのお稽古も 段々佳境に入って参りました。
このヤマトタケルの初演の年(1986年)2・3月 5・6月 10・11月と実に半年間も
このヤマトタケルを上演しております。

そして 間の4月はといいますと 私は明治座の松平健さんの公演
『若き日のジンギスカン わが剣 熱砂を染めよ』の初演にも
出演させて頂いているのです。
この公演の演出は私の師匠 市川猿之助でありました。

このとき、私はまだ一門ではなく、一門の他のお弟子さんは皆、
師匠なしで歌舞伎座等のお芝居に出演しておられました。
ですから、ジンギスカンには出演されておりません。
どう云う訳か 私と、父の嵐冠十郎 中村太郎さんと関西籍3人だけが
明治座に出演させて頂けたのです。
(後 坂東吉弥さん、坂東弥十郎さんが出演されていました。)

実はこれは 演出家の強い力で、4月お休みであった3人を 
ヤマトタケルの出演者である3人を
明治座の公演に入れるよう 働きかけて下さったのです。(感謝)

このジンギスカンの芝居 ヤマトタケルの演出が 随所にちりばめられ 
松平健さんもかなり気に入られて以後 何回か再演しておられます。

このジンギスカンが、時も同じく今年の1月にル・テアトル銀座で 主役が替わりながらも 
市川猿之助演出で公演されていたことを皆様、ご存知でしたでしょうか?

当時の松平さんのジンギスカンは夜の部で 昼の部は 云わずと知れた 暴れん坊将軍!! 
もちろん 私も暴れん坊将軍にも出させて頂きました。
松平さんを叱る 同心の役で!

この時 ご一緒させて頂いた故有島一郎さん 岡崎由紀さん 大山克己さん 竜虎さんなど 
普段の私では 共演させて頂けない方々との出会いも楽しかったです。

特に有島先生は私は 若大将(加山雄三さん)のお父さんと言うイメージが
かなり強かったのですが・・
でも 昼の、暴れん坊将軍の時の三枚目の家老と 
夜の部のテムジン(ジンギスカン)を助ける長老の全く違うキャラクターを 
見事に演じておられた姿には感服致しました。

私も ヤマトタケルの中のお役でお客様が納得して頂けるぐらいの
お芝居が出来たらいいなあと 思っております。