この記事は、一旦公開したがすぐにアメンバー化。
この度、故あって1度目の再発の経緯を公開に踏み切る。
一年前2021年に頸椎を圧迫骨折。
その時の原因究明の杜撰さや、対応のマズさ、そして翌年とうとう髄外浸潤に至る。
その話。
以下、2022年8月25日の記事。
内容は9月第2週に一般公開します。
の予定でした。
予告ブログを前書きとします。
本文は後半にあります。
[前書き]
自分は、医師の世界に限らず技術系全般は、一部のクリエイターと大多数のトレーサーの集まりと考えてます。
クリエイターの中には世界的な天才級のノーベル賞科学者もいれば、人工衛星の部品をつくる町工場の社長もいれば、最先端事業を立ち上げた民間科学者もいれば、大企業のなかの名も無き熱き技術者達もいる。自分は最後の分類に属すると自負している。
そして、創業の新技術を模倣し進化させていくトレーサーはそれこそゴマンといる。
生涯トレーサーを粛々と続けるしかない専門家も、それ以外の人からみればやっぱり雲の上の専門家。
実際は専門の肩書きだけを持っただけのただの人かもしれないし、逆に後々立派な成功を収めて真に雲の上に行っちゃうけど今は無名のトレーサーでまだ芽の出てない科学者かもしれない。
勘違いされやすい職業は医師ではないだろうか。
人の作ったマニュアルどおりに治療を行なって結果を出しているだけかもしれない。
それはそれで大事である。トレーサーには普及という役割と、その結果、大多数の患者を助けていくという使命がある。またその過程で技術は磨かれ、より多くの課題を解決できる糸口となっていく。何よりもトレーサーはたくさん居るほうが良い。
しかし、いま現時点で難題が到来してクリエイターが必要な時に、トレーサーしかいなかったらどうなるか、幸い?犠牲は極最小限で済むから、数の論理から問題ではないが、果たしてどうだろう。
確実にその当事者の患者と家族は苦しい時を過ごすことになる。
潜在的には今は顕在化していない多くの犠牲予定者も待っている。
ここに必要なのは、クリエイターである。
クリエイターとは、何も新規の治療法を開発することのみを指さない、創意工夫に努めて熱意をプラスするぐらいでも事態は好転する可能性は十分ある、と自分は思う。その行為だけでも立派なクリエイターの端くれだと思う。トレーサーからクリエイターへ技術を橋渡しする人だと思う。この人も立派なクリエイターだと思う。
そこにいないのだから、誰かがクリエイターにならなければならない。
その意識なくして、解決の糸口は得られない。
つまりトレーサーからクリエイターになる瞬間はどのトレーサーにもあるが、クリエイターを選ばないひともいるし、望んでもやはり何かが足りない人もいる。
それでも大多数のトレーサーの中において、その中の大部分の方がいつでもクリエイターに変り得るのが、医師という人たちでは無いだろうか。
それだけの知能と学識と高い理想を持ってその立場にいるのだから。
医師の場合は、世間一般の人からは全て同じ医師。と見られる。クリエイターとか区切って見られない。
ひとの命と人生を守る大事な仕事の裏返しではないだろうか。
大いなる責任が無いか、あるか。
そこをどう考えるか。
我々技術者も医師のようにありたい。
ここから本文
[本文]
発症時は、ベルケイド(ボルテゾミブ)、レブラミド(レナリドミド)、デキサメタゾン(レナデックス)によるVRD療法や、カイプロリス(カルフィルゾミブ)、レブラミド、デキサメタゾンによるKRD療法を行なってきた。
すぐに移植を行わなかったのは、すでに背骨を折っていたから。
背骨がある程度安定したのを見届けてから、その後、自己末梢血幹細胞移植。
維持療法として、レブラミド、デキサメタゾンの2剤を服用し始めた。
しかし、デキサメタゾンによる不眠など副作用が強く、すぐに本剤を中止してレブラミド単剤治療に切り替えた。レブラミド単剤が移植〜再発の期間のほとんどを占める、唯一多発性骨髄腫に対抗するクスリだったわけである。真偽のほどはわからない。
こうした“よく効いているレブラミド”を温存するために、ニンラーロ単剤に切り替えるもわずか半年足らずで頸椎骨折により中止。この時ニンラーロによる治療効果はどうだったったのか不明。
骨折が落ち着いたからまあOKみたいな考えにしか捉えられない。その後解明していない。
患者の自分が、ニンラーロが効かず、でも血液検査に顕著な数値があらわれず、そんな微小な変化で骨が弱くなったのでは、というのが採用されたのか、どうなのか、何せ不明のまま。
ニンラーロも訳もわからず脱落。
(蛇足: 当時、医師から教えられたニンラーロの服用方法は間違っていたことがわかって、自分ですぐに改めた)
頸椎骨折後、温存するはずのレブラミドをまた使い始め、再開1年後の今になって肋骨骨折と骨痛。
こう考えれば、レブラミドはあんまり効いてなかったとも考えられる。
維持療法の期間は単に移植の効果だけだった可能性もある。医師はそこに気づいているのだろうか。
今になって、よくよく調べてみれば、①背骨に抜き打ち、さらに②癌の浸潤が認められ、再発が確定した。また③頸椎骨折箇所が脊髄を圧迫していることも判明した。
なにせ当初は、レブラミド単剤治療期間は毎月血液検査を行ってきたものの、安定しているからと言う理由で後半は2ヶ月ごとに診察頻度を減らす場合も結構出てきた。ちょうどこの頃コロナの流行とリンクする。
2ヶ月ごとの血液検査では、骨髄腫の再発を捕捉出来なかったということのようである。
事実、MRIやCTの画像は小まめに撮っておらず、写真だけの履歴からだけでは、突然の骨病変発生としか認識できない。過程が記録されていないのである。
血液検査で悪い兆候がないものだから安心しきって、時折患者の訴える痛みを詳しく追求しなかった結果起きた再発であろう。
単に不定愁訴と捉えたのか、何か含蓄のある訴えと捉えたのか、カルテにどのように記録されているのかは知らない。記録にないかもしれない。
ある日突然とはいえ、一年前の頸椎骨折の際には背骨の抜き打ちも頸椎骨折部からの浸潤もなく、この一年で急激に進行したことになる。
この一年、骨への関心がなぜか希薄になり写真があまりない。
もっとしっかりと体の中の変化を観察していれば、せめて写真がもう少し多ければその時点で手を打てたはずが、後手後手となって再発に至った。
血液検査以外に方法はなかったのか、せめて毎月の診察に戻せなかったのか。
①脊椎脆化、②ガン浸潤、③脊髄圧迫という最悪の事態を迎えることになったわけであり、結果的に維持療法の失敗、治療計画の失敗といっても良いのではないか。
診察と治療の丁寧さに欠けた結果と言っても良いと思う。
結局は、患者が苦しみ患者の家族がその苦しみに巻き込まれるという、最悪の結果。
そして、今は少しでも浸潤部位のガンを叩くための局部的な②放射線治療と、①化学療法の中で効果のでる薬剤を見つけることと、③脊髄圧迫を回避することが主眼であるが、実はこの③脊髄圧迫の悪化を回避する手段については病院から何も提示されていない。もちろん予防についてもアドバイスがない。
脊髄圧迫に関しては、血液内科としては、整形外科の仕事だと勝手に考えている節がある。整形外科のほうは、原発はあくまで多発性骨髄腫だから何か指示出すなら血液内科でしょと考えているはずである。この場合、整形外科が正しい。
というよりも、放射線治療の提案はむしろ整形外科から出た、そして放射線科が対応をすることが決まった。
脊髄圧迫悪化の予防指示や対策は考えているのか、責任部署の血液内科はいったい何をしているのか。また、整形外科の提案待ちなのか。キチンとイニシアチブをもって治療を進めているのか。とてもそんな様子には見えない。
それとも自分の知らない水面下で医師同士がちゃんと話し合えているのか。わからない。
結局は放射線によって②浸潤部位の圧力軽減が奏効するかどうかの目極め後となるのであろうが、病院からの③の指示は今のところノーケア。確か軽い運動はできる、とある。んなことあるか、動けないですよ、体痛くって。
自分的には勝手に、対策としてカラーをつけようと思っている。
多分病院サイドでは③の対策は何も話し合われてていないだろうな。
あのね、
どんな仕事も人が行うもの、監督しリードする者の先見性と強い意志がなければ、たとえ解決できなくとも、少なくとも解決への扉は開かれない。
これは医学とは全く関係のない、技術系の民間業界のなかで小さいながらもある程度の業績を収めた自分の考え方である。(自分の場合、業績は出世という意味ではなくて新市場開拓による今後何年も続くであろう増分利益という直接的な業績のこと、今回の病院のケースでは再発を早い段階で発見し対策を打てたかどうかが業績に相当)
最後は強い目的意識と意志を持つものに道は開けるはずである。それしかない。
その前に、当事者意識が必要ですね。
患者や患者家族の目線がないのです。
治療がうまくいってりゃ、そんな目線など無くともみんな納得できるわけです。
しかし、うまくいっていない現状では、ジャンプが必要でやっぱり患者目線です。
その目線があれば、次こうしなきゃ、あぁしなきゃとどんどん対策を打たなきゃだめです。それが足りない(③)ということは、まだまだ当事者意識が足りないということか。
自分も技術者としては既にベテランの域のはずだから、専門は違えど進め方がマズイか良いかぐらいは見て体験してりゃ分かりますよ。
できれば自分にこんな言葉を吐かせないうちに転院させて欲しい。
・今の問題の解決方法はどこにも書いてないかもしれないし、誰も教えてくれないかもしれない。だからこそ新しい仕事(自分で知ろうとしない限りわからない)
・新しい仕事はその時、その場にいる責任ある人が行うもの、クスリやルールや固定観念や規制概念が行うものではない(責任を全うできないリーダーは去れ)
・当事者意識をもって考えてください。今この瞬間も事態は悪化しているかもしれない(医学の目的は何か、そこにタイムリミットはないのか)